三つ目小僧

むかし 芝居小屋に人気者の奴がいた

三つ目小僧という

人の心を読むという

ある日 一番前の席にいた娘が三つ目小僧に聞いた

わたしは 女か男か分からない どちらでしょうか

わたしの三つめの目をよく見なさい

娘は額の真ん中にある目を じっと見つめた

すると 娘はこの三つ目小僧に恋をした

三つ目小僧は 恋に落ちた娘の目の輝きに 心を奪われた

すると 三つめの目が 瞼を閉じた

娘ははっと 我に返って 三つ目小僧の両目を見た

キャーと 娘は悲鳴をあげて その場から逃げ出した

三つ目小僧は オーイ と声をかけ 答えた

お前さんは まぎれもなく 女だ

だって わたしが両目になったとき まぎれもなく男だった

だが それを知った今のわたしは もとの三つ目小僧

人間扱いされない 見世物の怪物だ



第三の目

どこかの南方の島に三つの目がある両棲類がいます。
人間にも何万年か前までは現在ある二つの目の間にもう一つの目がありました。
動物の進化を研究している人達の研究によると、使わなくなっていく体は長い期間を経過していく中で退化していくという結果が出ているそうです。
人間もかつては尻尾があったことは、尾底骨からわかっています。
三つめの目もかつてはあったが、だんだん使わなくなって退化したらしい。
なんのためにあったのか。目は心の窓といわれるが、想いが目にあらわれる。想いとは考えているということです。ですから人が何か心の中で考えたことが、目を通じて表現される。この表現は偽ることは出来ない。言葉では偽ることができても、目からの表現は正直です。
なぜなら、言葉での想い・考えの表現の場合、口から発せられるまえに頭脳を経由する。
頭脳は多くの考え・想いを整理、処理しているコンピユータのようなものでニユーロンという神経細胞がいろいろな考え・想い、いわゆるプログラムの命令を並列に同時処理をする機能を持っているから、口から発せられる言葉は一つのプログラムの処理結果のはずなのですが、脳のところで並列処理されるため、直列処理された結果とは違う答えを発することがしょっちゅうある。すなわち嘘をつくメカニズムです。
ところが目から発する考え・想いは脳を通らずに心(感情)を通って出る。感情は脳のように並列処理する機能はもっていない。また処理能力も持っていない。反射神経という心の鏡をもっており、その鏡に映ったものそのとおりを反射するだけです。その鏡の質の良し悪しは人によって千差万別です。ですがそのとおりのものを反射することは確かです。その反射されたものが目を通して発せられる。ですからそのまま、そのとおりのことをアウトプットする。この二つの目は外の世界を見る機能です。一方、第三の目は人間の内なる世界を見る機能を持っており、生理学では脳の松果腺のところをいう。内観と禅の世界では言いますが、瞑想も内なる世界を見ることです。瞑想の瞑は目をつぶるということです。二つの目が開いていると、生命エネルギーは外へ向かって行く。内なる世界を見るときは、生命エネルギーは内へ向かう。ですから瞑想(内観)をするときは目をつぶり生命エネルギーが外に向かわないようにする訳です。目をつぶるとちょうど、第三の目がある場所に3センチぐらいの大きさの映画のスクリーンのようなものが白銀色の薄い光で輝いているのが見えてくる。それが生命エネルギーの光です。外に向かおうとして、遮られた光が第三の目のところで動きを止めているのです。そうすると、思考がストップする。普段、眠りにつくとき、当然のことですが目をつぶる、眠気が思考を止めていく。そうすると第三の目が機能しだす。
映画のスクリーンが目と目の間のところにあらわれる。そして夢という映画を見始める。
ですから、誰でも夢をみているときは少し上目向きになっています。第三の目のスクリーンです。いよいよ夜の映画が開始です。夢は映画のドラマと一緒で一日中放映している。