かしわで(柏手)

かしわでは 心を包む

お辞儀は 心を隠す

神社では参拝二拍手

三回心を隠し 二回心を包む

これは 何を意味するのだろう

みんな 神社に参拝して 祈願する

三回 お辞儀(拝)して 何を 祈願する

それは 二回の かしわでに 意味がある

あなたの 醜い心を隠して

あなたの 素直な 心を 包むため

かしわで は 音を させずにするのがよい

どうしたら あなたは できる

包む心を 空にする

すると 自然に 音は消える



隻手の声

AUM(オーム)という音のA(ア)とM(ム)の音を消してU(ー)の音だけを聞くと不思議なことが起こります。
そのためには耳が物凄く敏感でないと難しい。音楽家とか詩人なら耳が敏感ですから可能です。
ですがこれは日本の臨済禅でよく使われる悟りの手法として使う公案のひとつです。答えのない問題をとことん探求することによって、最終的に問題もなければ、答えもないという結論に達することによって問題と答えという二元論を超越する手法です。その公案の中でよく使われるのが、音に関するものです。そして最も有名な公案が「隻手の声」です。
白隠禅師が弟子たちに次のような公案を出した。
「隻手声あり、その声を聞け」すなわち「片手で叩く音を聴きなさい、聴けたら私の処へ来なさい、そのとき、あなたに悟りの方法を教えよう」これが問題です。何十年もこの師匠の下で師事した弟子たちは必死に考えた。
そのとき、この寺で炊事の仕事をしていた10才の少年が、それを聞いて、自分にもその問題の答えを考えさせて欲しいと申し入れた。師匠はすぐに許した。なぜなら、この問題を解けるのはこの少年しかいないことを最初から見抜いていた。
弟子たちは、どんどん落伍していった。「こんな、不可能な問題を出すなんて、この師匠はきっと、気が狂っている、もうこれいじょう、まっぴら御免だ」と。
だが、この少年は真剣にその音を聴こうとした。あるときは、「風の音が聴こえるようになったが、片手の音はまだ聴こえません」と。またあるときは「川が流れる音の変化が聴き判けれるようになったが、まだ片手の音は聴こえません」と。そのたび師匠は、もう少しだ、だがまだだ。と追い返した。とある日突然その少年が来なくなった。師匠は探しに出た。その少年は木の下で座っていた。まるで生まれ変わったように。師匠はすぐに分かった、この少年が悟ったことを。その少年のそばに寄って師匠は、「どうやら、聴こえたようだね、それはどんな音だったかね」 少年は、「はい、聴こえました。それは音のない音でした」これが正解だ。
非常に間接的な方法ですが、聴こえるはずのない音を聴こうと必死に努力することで、日常聴こえていても、聴いていない音が聴こえるぐらい、音に敏感になるための鍛練が目的です。
A(ア)とM(ム)とのあいだのU(ー)が片手で叩く音です。
そしてその音のない音を聴こうとするあなたは、非常に覚醒した状態になっている。
そしてA(ア)という音も消え、M(ム)という音も消え、最後のU(ー)という、音のない音も消えると同時に日頃のあなたも消える。

(参考)
およそ千七百の公案があるが、「碧厳録」「従容録」が主で他に「無門関」「宗門葛藤集」などがあり、公案は筆記試験ではなく口頭試案で、参禅に公案を用いるものを公案禅または看話禅(かんなぜん)といい、栄西が開祖で白隠が中興の祖と言われている。一方公案を用いないで黙々と座禅のみをおこなって心性を照らし明らかにする黙照禅は今日、最も多く寺を持つ道元が開祖の曹洞禅がある。