かごめ歌

かごめ かごめ

かごの中の 鳥は

いついつ でやる

夜明けの晩に

鶴と亀が すべった

うしろの 正面 だあれ



AHは世界共通語

5000種類の言語があると言ったが、AHという音だけはどんな言語でも音も意味も同じ共通の言葉です。
赤ん坊が母親から生まれ落ちるときに最初に発する音です。いままで母親から与えられてきた息を自分でしなければならなくなる。自分で息をするのに必要な喉の穴を突き抜く為に吐く音がAHです。
逆に息を吸う時は、HHという音です。
肺にはおよそ6000の肺胞がある。その中、息に使用されているのは2000の肺胞だけです。
残りの4000の肺胞は、吸った息が臍(根)にまで届かなかった結果、有毒ガスとなって、本来吐き出さなければならないガスを溜めている。この有毒ガスが、心配、不安、怒り、そしてほとんどの病気などの原因となっている。ですから、息を思い切り、AHと吐くとすっきりする。疲れたとき、自然にAHという音を発する。これはどんな国の、どんな違った言葉を使っている人でも同じです。心臓発作が起きると、AHと息を思い切り吐くと止まる。
子供が疲れを知らないのは、生まれたときに、本能的に知っている腹式呼吸をすることで、息が臍(根)まで届いているから、吐く息になったときに有毒ガスが発生しないで、生命エネルギーだけを吸い取った空っぽの息を吐いているからです。
吸う息は生、吐く息は死、ということ、だから息をするたびに、人間は生と死を繰り返している。そして生は緊張、死はリラックス。何かこれから緊張することが起こるとき、人間は必ず息を吸う、深呼吸です。そしてその緊張から解き放たれたとき自然に息を吐く、リラックスです。だから生きているということは緊張であり、緊張することが生きることだということ、生とは危険の真っ只中にいるということです。
だが人間は生きている中で安全を求める。これは完全に無いものねだりです。不可能です。
危険の中にいるということが、正に生きている証です。それなのに安全を求める。自分から生きることを放棄していることに気づいていない、このことが最大の悲惨なことです、最大の不幸です。
生は死という大海の水面の波のようなものです。風が吹けば波は大きく揺れる。嵐がくれば波は気が狂ったように荒れ狂う。だが天候が良くなれば、何事も無かったように、静かな、小さな波になる気まぐれなものです。だが自分ではなにも出来ない。それが生です、生きるということです。だが大海の底は風が吹いても、嵐がきても関係ない、静寂です。それが死です。
眠っているとき、特に熟睡しているときは、一過性の死と同じです。だから、生は永遠の眠りです。体も精神も疲れると眠る。だが一過性の静寂です。しかも眠っているあいだも夢の中で緊張している。
生において安全は不可能です。危険の中にいることを生きる悦びとすることです。これしか、生きる苦しみから抜け出す方法はない。お金でも、地位でも、権力でも、この危険から逃れることは出来ない。死しか解決の道はない。
肺の中に溜まった不安、恐怖、怒り、といった有毒ガスを吐ききることです。
語尾にAHがつく言葉、アラーでもハレルヤでもナンマイダアーでも何でも良い。
一日の内で決まった時間に決まった場所(できれば狭いほうが良い)で、このAHという音を繰り返す。そして徐々にそのAHで終わる音を小さくしていって、最後に消す。すると自然に吐く息から吸う息に変わり、HHという音に変る。自然に。
その時、生の中の静寂にいるあなたが現れる。