|
眠ってる顔 昼間 街の中を 歩いてみる たくさんの人が 忙しそうに 歩いてる オフィスの中で 忙しそうに 何かしてる 電車の中で 苦しそうに 立ってる みんな 歩いているのではない 歩いてる 何かしているのではない 何かしてる 立っているのではない 立ってる それは 無意識という証拠 眠ってるという証拠 目覚めている人は 目覚めている 目覚めてる ではない 意識して眠っている人は 眠っている 眠ってる ではない 自分を思い出す あなたは、自分以外のすべてのまわりのものの存在を認識している。回りのもの、木や、家や、食べものや、ありとあらゆるものが、そこにあることを知っている。だがそれを見ているあなたに気づいていない。だから当然、回りのすべてのものも実体ではない。見るあなたがいないのだから。 あなたが、あると思っているすべてのものはスクリーンに映っている三次元の動画面です。そしてそのスクリーンをひとりの観客席で見ているのが本当のあなたです。だがその観客席に座っているあなたに気がつかないのが普段の頭で考えているあなたです。普段のあなたはスクリーンの前でその画面の中に自分も参加しようとやっきになっている。だがそれは、到底無理です。 回りのものをあなたはあなたの目で見ることが出来る。だがあなた自身を見るためには鏡がないと見ることが出来ない。その鏡が考えるあなたです。回りのものも実は考えるあなたである鏡に映っている実体のないものなのです。すべてはあなたという鏡が映し出す映像です。しかし実存のあなたは考えるあなたである鏡のうしろに隠れているのです。鏡はその前に立たないと映らない。うしろのものは映らない。 だが実存のあなたはまちがいなく鏡のうしろにいつでもいる。それに気がつくことを自己想起といいます。 そのためには、まずあなた自身を「わたし」という言葉を発して考えずに、顔を触ったときの感触、胸をさすったときの感触を感じることです。その感触が得られると、あなたの意識と宇宙意識との間に橋が掛けられる。 最初は一瞬でよい。一瞥でよい。二瞬とか、二瞥なんて意味がない。just a moment、 just a glimpseとかはあるが、two moments, two glimpses という言葉はありません。 一瞬、一瞥のあとは、努力が必要となる。継続するという努力が必要となる。努力とは継続するということです。痛みを我慢することを努力するというのは、その痛みが継続するからです。一瞬の痛みには我慢がともなわない。そして努力は必ず報われる。痛みも耐えきれないほど続き、我慢という努力をすると、気を失うということで、痛みから解放される。 ですから、まず一瞥を得ることです。一瞥を得たらあなたの全人生を目覚めることは可能です。 なにか思い出すことがあれば、まず自分自身を思い出すことから始めることです。 そのとき、あなたを思い出すのは、あなたの名前とか、宗教とか、家族はとか、そんなことはすべて思い出すのではなく考え出すことです。そんなことをしたらすべては水の泡です。 あなたの存在を思い出すことです。では、どうすればあなたの存在を一瞬でも思い出せるか。これは、なかなか難しい。時間が掛かる。 神秘思想家のグルジエフ(「奇跡を求めて」の作者)が彼のスクールでこの手法をベースにしてあみだしたテクニックが非常に効果的です。 三十人の生徒が三ヶ月のスクールに参加した。P・D・ウスペンスキーもこのスクールに参加した。当時ウスペンスキーはグルジェフよりはるかに有名な学者でした。 最初の一週間で二十七人の生徒が逃げ出した。三ヶ月間、一切、外には出ることは許されず、一日中「わたしは誰です」と自分にささやきかけるだけです。逃げ出した人たちもかなりの著名人です。彼等は「このまま三ヶ月間続ければ、完全に気が狂う」と言って逃げ出した。当然です。もともと、このスクールに入るときに彼等は気が狂っていたのですが、それに気がつかなかっただけです。それを最初の一週間で気づかされただけです。なにも、このスクールが彼等の気を狂わせたのではない。それに気がつかないから逃げ出しただけです。人間は自分の中にある狂気にまったく気づいていない。 ウスペンスキーを含む三人が残った。 最初の一ヶ月で、「わたしが存在する」ことの一瞥を得ることが出来た。 次の一ヶ月で、「わたしが存在する」の「わたし」が消え、ただ「存在する」ことの一瞥を得ることが出来た。 そして最後の一ヶ月で「存在する」ということも所詮、言葉で、その言葉も消え去ることで、最初の「わたしは誰です」という質問に対する答えとしての「わたしは存在する」ということもすべて消え去って、「わたしは誰です」という質問すらまったく意味を持たない、答えのない質問だということに気がつくようになった。そのときグルジエフは三人に外出することを許可した。ちょうど朝だった。たくさんの人たちが歩いていたり、駅で立ち止まっていたりした。彼等は、奇跡が起きたと驚いた。 眠りからさめて、朝出かけてきた人たちが、皆、なんと眠っているではないか。目を覚ましているのは彼等三人だけではないか。そのとき、彼等は「リアルな自分」の一瞥を見た。「リアル」とはこんなに素晴らしいものかと彼等は気づいた。そのときグルジェフの意図がはじめて分かった。 イエスにしても、今でこそ救世主ですが、誰が十字架にかけたのか。十字架にかけたローマ帝国の末裔が皆、今キリスト教信者です。そして十字架にかけたイエスを教会の中央に飾っている。そしてイエスを売ったのはユダヤ人だとして迫害している。偽善もここまできたら狂気です。 グルジェフにしても、異常性格者だと言われてきた。極悪人と言われてきた。 偽善者がこの世を汚れきったものにした後、その汚れを掃除するために、ほんのちょっとだけ出てきて奇麗にしたら、すぐ消えていくのが彼等の役割です。そして彼等が出現しなくなったときこそがこの世の終わりです。 未来の予言だとか、だれそれの預言だとか、そんなことを今言っても、何の意味があるのしょうか。未来は未来が現在になったとき、みんながわかることで、そのときしか何もできない。阪神大震災を平成七年一月十七日 午前五時四十五分に発生すると、それまでいろいろな予言書や預言書を出してきた人は分かっていたのでしょうか。分かっていて事前に発表しなかったら、それは大虐殺罪です。分かっていなかったら、詐欺罪です。彼等は必ず弁解する。予言には多少の時間のズレがあると。では阪神大震災が平成七年一月十六日に起こると予言して一月十七日に起きたら、みんなその予言者を崇拝するでしょうか。何千人もの人が死んだのに、その予言者は一日違いだけで当てたと絶賛されるでしょうか。予言や預言をするものはみんな詐欺です、間違いなく偽者です。善を装う偽者です。リアルに生きているものは本物です。極悪人と言われても本物は本物です。末世を救うのはリアルな本物の人間しか出来ない。 リアルな本物の人間には誰でもなれる。特別な人間では決してない。あなたも、リアルにさえなればいい。ただほんのちょっと自分を思い出す勇気が要ります。 |