綱引き

引っ張り 引っ張られ

その繰り返しが 綱引きだ

引っ張り 引っ張り なら すぐ終わる

引っ張られ 引っ張られ なら すぐ終わる

引っ張り 引っ張られ だから 綱引きになる

あなたは 時には 正しい

あなたは 時には 間違い

あなたが いつでも 正しいければ

綱引きにならない



あなたはいつでも正しい?

あなたが怒ったとき、何か理由づけをしてその怒りを正当化する。だが他の人が怒ると批判する。あなたの怒ったときの気違い沙汰は必然のものだが他人の場合はとんでもない行為だと決め付ける。
あなたのすることは何でも正しい。たとえ正しくない場合でも、それは必要悪で片づける。なにか理屈をつけて正当化する。
だがあなたがそうであるように、他の人も同じことをしている。
これでは、世の中はそれぞれの基準の綱引きです。
ひとつは自分ひとりだけのための基準。
もうひとつは、自分以外すべての人たちにあてはめる基準。
このそれぞれの基準の綱引きがいつも問題の原因になる。
二人の判断者が常に自分の中にいる。一人の判断者でないと、真理の一瞥を見ることは出来ないと同時に一人の判断者にならないと、それぞれの基準の綱引きから逃れることは出来ない。
イエスが「あなたが他人からされたくないことを、あなたは他人に対してしてはならない」と言ったことは、このそれぞれの基準の綱引きのことです。それぞれの基準の綱引きが、あなたは他人に平気ですることを、自分が他人からされると怒る。
常に人は、自分は特別だと思っている。自分は普通だと思う人が特別な人です。
鈴木大拙が自分の弟子から、彼の師匠についてどんなところが他の人と違っていましたか、と聞かれて、彼は、師匠は本当に自分のことを普通の人と思っていたところが特別であった。と答えた。
みんな自分のすることは正しい、だが同じことを他の人がやるとどんなことでも問題だと思っている。だから同じことでも、自分がすることと、他人がすることは違うと思い込む。これが原因で世界は混乱する。
世界のすべての国が軍隊を持つ理由を他の国からの侵略に対する防衛の為だと言う。
日本の国の軍隊も自衛隊、防衛庁という。アメリカの軍隊もDOD(Department Of Defense)国防総省という。だがいままでアメリカが他の国から侵略されたことがあったでしょうか。侵略したことはいくらでもある。だが侵略とは言わない。正義を守るためという。旧ソ連もそうです。中国もそうです。
すべての国が防衛の為なら、一体侵略する国はどこにいるのでしょう。どこにもいない。それなら、軍隊も必要ない。
ヒットラーがもし勝っていたら、彼は、侵略者ではなく、世界の救世主と歴史は変わっていたでしょう。そしてルーズベルト、チャーチル、スターリンは侵略者となっていたでしょう。どちらがよかったか断定は出来ない。もしヒットラーが世界の救世主になっていたら、日本はアメリカから原爆を落とされなかったでしょうか。
ヒットラーのやったホロコーストと、アメリカのやった日本の広島、長崎への原爆投下と、どれだけの違いがあったのでしょうか。悪行にはなんら変わりは無いはずです。だがアメリカは歴史において責められていない。
これらはすべて、それぞれの基準の綱引きの所為です。
自分がやっても、他人がやっても悪いことは悪い、良いことは良い。これが自然のルール・掟です。
だが問題はあなたの中にある。これが微妙です。
あなたは、欲望の根源を、たとえば、貪欲さ、性欲、……を本能的に求めているのに、頭では否定している、拒絶している。あなたは怒っている、だが怒ってない振りを装って、怒りを否定している。しかしこの否定、拒絶が抑圧を生み、抑圧が怒りをよりパワフルにする。抑圧があなたの中の深い無意識に浸透してゆく。そしてその無意識の暗闇からやがて表面に力強く出てくる。この落差がすべての問題をつくっている。
だから、それぞれの基準の綱引きで判断して抑圧と発散をしないこと。それをすると必ず抑圧したほうが、心の鏡にホコリを溜める。すべてを受け入れること。それが必然と思うこと。受け入れるということは、鏡のホコリを取り除く作業です。抑圧することは、無意識にホコリを溜めていることです。
すべてを受け入れることが、気づきを生み、そこから変貌が始まる。