さざなみ

大海原も風がなければ 静かな海

そこには 囁くような さざなみだけ

だけど ひとたび 地平の彼方から 黒い雲が 現れると

さざなみに 一条の 大きな筋ができ始める

それが こちらにくると 人の何倍もの大波になる

あなたも 黒い雲を持ち込めば

心に大きな波ができる

その大きな波も

静かな さざなみも

みんな 大海の一滴から できている

それが まさしく あなたそのもの



大海の波

大海に風が吹いたり、船が通ると波が起こる、その波をあなたは見ることが出来る。
だが風が止んだり、船が通り過ぎて時間が経つと波は消えてなくなります。
波は形のあるものだがそれは実在するものではなく実在するものの一過程の表象にすぎない。実在するのはその波をつくる大海の水であって波ではありません。
波の種類は無限にあるが、どれひとつ同じ波形はない。しかしその下にある海はいつも同じ状態で在る。実在する。
動くのは海水ですが波は動きそのものです。そこの区別を理解しなければなりません。
あなたは普段、波のひとつと同じ感覚でいる。怒ったときは大きな波、嬉しいときも大きな波、熟睡しているときは静かな波です。眠っているときでも波の形はいろいろです。夢を見ている時は波が大きくなる。
あなたひとりでも心の波、意識の波は無限の種類がある。人間すべての波ならもう見分けは不可能です。
しかし、その波は大海の水があるから起こる。大海の水がなければ波は起こりようがない。
ところがあなたは自分のことを波だと錯覚している。だから当然あなたは無限の種類のあなたがいる。しかもどの波があなたなのか、あなたは決められない。風がどのように吹くかで波の形がきまる。
風はどうして起こるのでしょうか。それは自然の法則です。宇宙の法則に従って起こります。
大海と大気の温度差が雲をつくり、雲の種類と大きさで雨と風を生む。自然の循環(エネルギーの移動)で雨や風を生む。その雨や風が大海の上に波をつくる。
何もエネルギーの量としては変わらない。動いているだけです。移動しているだけです。
大海の水、空の雲、雨、風、これらは皆同じです。エネルギーの動き、移動で変位したものです。エネルギーですから実体は在る。しかしそれらによって起こる波は実体が無い。
その波を自分だと思っていることが、すべての問題の原因です。
大海の変位したものが本来の自分で、波はその変位するときの動きだということを理解することが必要です。
喜怒哀楽すべてエネルギーとしての実体は在る。喜びのエネルギーは実在する。だがその喜び、怒り、哀しみ、楽しみのエネルギーはトータルな処からしか来ません。
大海のエネルギーの変位、すなわち、雲とか雨とか風とかが喜怒哀楽の実体です。それらは大海のエネルギーと同じであなたは大海から来ている。
それなのに、あなたはその大海のエネルギーの変位したものだということに気がつかずに、そのエネルギーで動く波だと思っている。「動く波」です。それは存在するものではなく、動きです。アクションです。動きのないアクションなんてない。
動きのない波なんてない。波は動きです。動きは常に変化する。
あなたは大海の一部で、ときには蒸発して雲になったり、雨になったり、風になったりするが結局来たところの大海にもどる。その過程で波という動きが起こる。
あなたは大海の一部、一滴です。
あなたは時には、それが雲のひとちぎりになる。雨の一滴になる。風の一吹きになる。
その一滴がいろいろな波をつくる。その波を自分と思っている。
波という動きの原因の雲のひとちぎり、雨の一滴、風の一吹きが大海の一部として実在するあなたです、ただ常に大海の一滴なら認識はしやすいが、雲のひとちぎりに変位したり、雨の一滴に変位したり、風の一吹きに変位するから錯覚する。自分が原因であって結果ではないことを、自分が結果でまわりが原因だと錯覚する。
大海から分離(変位)した雲や雨や風が自分で、それらによる波という動きが結果としてあらわれる(現象として)。因果応報というのは、常に瞬間瞬間に起きている。
自分に起こるありとあらゆる現象はすべて自分が原因でその結果が現象として現れることを忘れないこと。
いやな結果を望まないなら、その結果を生む原因をつくらないことです。
高い波を望まないなら、強い風に自分がならないことです。
大きな波を望むなら、大きな雲になって、多い雨と、強い風に自分がなることです。
望めばそれは可能です。あなたは大海の一部であるのですから。
そして大海の一部としての大きさは人によって違う。覚醒すればあなたは大海そのものになる。それを決して忘れないこと。