精神の汗

体を動かすと 汗をかく

汗は 車のラジーエーターと同じ

熱くなった体を 冷やす役割

精神も 熱くなると 汗をかく

どうしたら 精神が 汗をかく

葛藤という 摩擦熱を起こすと 熱くなる

迷い と 葛藤 とは大違い

迷いは 無知な人の 得意技

しかも 錯覚した 得意技

葛藤は 利口な人の 得意技

しかも 納得した 得意技



納得の人生か錯覚の人生か

あなたが覚醒していない限りあなたの人生は、あなたの思いとは逆の結果になります。
あなたが近づこうとすればするほど遠く離れて行く。
よく車を運転していて道に迷って目的地のそばまできているのに気がつかずにまた離れて行くのと同じことです。
人生を困難な道だと考えるか、簡単な道と考えるか、それはあなたの選択次第です。
目的地までの案内書があれば、それは実に簡単なことです。
人生も案内書があれば簡単なことです。
しかも案内書はすでに与えられている。ただそれを忘れているだけです。問題はあなたが忘れていることです。それを理解できれば、人生は簡単です。
だが、あなたのエゴ(自我)がそれを邪魔しているのです。エゴは巧妙です。ずる賢い。簡単なことに満足しないのがエゴです。あなたは気づいていないでしょうが、誰でも、口では謙遜するが、心の中では、自分は特別だ、他人とはちょっと違うと思っている。それがエゴに栄養を与える食べ物になっている。
実は、人生を難しくしているのは、あなたのエゴなのです。簡単なら誰でも出来る、それがあなたのエゴには気に入らないのです、自分が特別でなくなるから。
あなたのエゴが、本来簡単な人生を難しくしている。そして人生はままならないと溜め息をつく。それが錯覚の人生です。
世の中を楽しく、楽に生きている人には二種類のタイプがある。タイプというよりレベルですが。
一般の人は錯覚の人生を生きている。
その下と、上に、納得して生きている二つのタイプがある。この人たちは人生を楽しんでいる。だがその差は天と地です。
ひとつは完ぺきに無意識に生きている人、この人たちは何も努力しない。
努力しないことが楽しむことだと思っている、いわゆる怠惰な人です。これが一般の人たちの下にいるレベルの人たちです。これは納得というより無知と言ったほうが正しいかもしれません。
もうひとつは、努力を乗り超えた人たち。この人たちの人生が納得の人生です。
完ぺきに努力した結果、努力が絶対条件ではなかった、人生は本来楽なものだということを、ただ忘れていただけだということに気がついた人たち。自分のエゴが難しくしていたのだと気がついた人たち。
生きることは楽しむことだと理解できたら、死ぬことも恐くなくなる。
死を恐れれば恐れるほど、死は恐怖になる。
それなら、死も楽しめば、楽しむほど、楽しいものになる。
どちらを選ぶかはあなたが選ぶことです。
問題は覚醒しているかどうかです。
わたしも、あなたとおなじで覚醒にいたっていません。多分死ぬまで覚醒できないでしょう。
ただ、あなたと少しだけ違うのは、生きることを難しく考えないよう努力する姿勢を持っている。あなたは、本当は楽に生きたいと望んでいるのに難しいと考えようとする姿勢との違いです。
それは、あなたにどんなことも明日に先伸ばす癖があるからです。要するに精神が怠惰なのです。一番下のレベルは精神も肉体も怠惰な人たちです。一般の人たちの場合、肉体は怠惰でないが精神が怠惰です。すべてを超えた人は精神が努力する、汗することで肉体が楽になることを知っている。だから肉体の努力を乗り越えることが出来る。
精神の汗をかくことは最初苦しむが、ある日突然これほど気持ちのいいものはないと思えるときが必ず来る。そのときまでは精神の汗をかくことです。
それが納得の生き方です。本来の普通の生き方です。何も難しいことはない。
あなたは、何が何でも難しく生きようとする。まず一日のはじまりの朝、起きることから、難しくしている。そして夜、眠りに入るとき困難な一日をやっと終えたとほっとする、だから翌朝起きるのが困難になる。悪循環です。はじめに逃げたら、もう最後倒れるまで逃亡人生です。だから朝起きるのがつらいあなたは悪循環に入っている。
最初が肝心です。