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くしゃみ いったん くしゃみ が出ると とまらない あなたは そう? くしゃみ が 一回ですむ 人は 無意識な人 くしゃみ が 続く人は 意識的な人 くしゃみ は 出そうと思って出るものではない からだが 要求するかぎり 出続ける どうして からだが 要求する あなたの エネルギー が あふれて いるから 大きな地震は しばらく 続く 小さな地震は 一回で終わる それは 蓄積された エネルギー の量の違い 覚醒するのは ある日 とつぜん 起こる だが 目に見えないところで 蓄積されて ある日 大爆発を 起こす くしゃみ は エネルギーの爆発だ くしゃみを止める 前に体は随意的な部分と不随意的な部分とのふたつで、できていると言いました。 内臓は不随意的です。 筋肉を使う外的部分は随意的です。 だが外的部分にも不随意的なものがふたつある。 くしゃみとセックスのオルガスムスです。 くしゃみとセックスのオルガスムスはよく似た行為です。 両方ともその行為を終わったあとの解放感が同じです。 あなたは、意識的にくしゃみを出来ますか。くしゃみが出かかったのを意識的に止めることが出来ますか。止めることが出来るポイントと、もう止めることが出来ないポイントがあります。 セックスのオルガスムスも意識的に止められるポイントと、もう止められないポイントがあります。止められなくなったら不随意状態です。 セックスの場合もそうだったが、くしゃみも、もう止められない不随意的な状態になったときに覚醒状態に出来ると、くしゃみは止まる。 くしゃみをするということはエネルギーを外へ発散することです。セックスもそうです。 そこで覚醒すると、エネルギーのベクトルが逆になる。中に向かう。そして、くしゃみは止まる。 覚醒するということは、意識してすることです。 ふつうの人はそれが出来ない。意識して何も出来ない。いつも無意識にしている。 ある有名な剣客がいた。 彼は剣の名人といわれていた。 ある日、弟子が彼に木を切って欲しいと言った。彼は何度も切った。だがまったく切れない。弟子たちは師匠を疑った。こんな剣の名人なんていない。だから彼の腕前を疑った。 そこへ別の剣の名人がやって来た。そして師匠に剣の競技を申し出た。 師匠は受けてたった。そしてふたりは構え合った。 競技を申しいれた剣客がするどく切り込んだ。 師匠の剣はその勢いで跳ね飛ばされた。師匠が負けたと弟子たちは思った。 だがその剣客は敗北を宣言した。見ていた弟子たちは、なにがなんだかさっぱり分からなかった。 その剣客は「確かに、技術的にはわたしが勝った。だが私の意識に関しては私の負けです。彼は確かに技術的には負けです。だが意識においては彼の勝ちです。そして彼の方 が剣の達人です。なぜなら、わたしが切り込んだとき彼は意識いていた。覚醒していた。だがわたしは無意識だった。ただ機械的に切り込んだだけです。だから彼が達人です」と言った。 師匠はそこでこう言った「切ることが目的ではない、剣が自分と一体になっていることを意識しているかが問題だ、結果は関係ない」 日本の昔の侍、とくに戦国時代の侍は戦士です。 彼等のトレーニングはまず覚醒すること、意識的になるトレーニングが最初です。 他のことは一切そのあとのことです。勇敢な戦士の第一条件は意識的かどうかです。 度胸があるのは、意識の問題ではない。技術と経験の問題です。 勇気は意識的かどうかです。 恐れるのが臆病なのではない。無意識なのが臆病なのです。 恐怖がやって来たとき、自分の意識を覚醒出来る、意識的でいる人が勇敢な人です。 怖さが問題ではない。怖さは誰にもやって来る。 ただそのとき意識的でいられるか、そうでないかだけです。 度胸のある人間は、経験と技術で怖さをカバーしているだけです。 自分の技術や経験を越えることが起きたら臆病になる。しかも普通の人間よりも、もっと臆病になります。自分の経験と技術(腕力)だけで相手を呑んでいるだけで、自分の頼みのものがあるから怖くないだけで、それを崩されたら怖さは倍増する。だから普通の人間よりはるかに臆病です。それが度胸の本質です。臆病と度胸は表裏一体です。勇気とは根本的に違う。 勇敢ということは、いかなるときでも怖さがある、あるがその状態に意識的であるということです。 あなたは勇敢ですか、それとも度胸があるだけですか。 |