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真理 真理は 語ることが できない 語ることが できるものは 真理ではない 何かを 所有しようと 思った瞬間 あなたは そのものの 所有物になる 所有物は 所有者が かならず いつか 壊す そして 所有物は かならず その お返しを 所有者にする だって その 所有物は 所有者を 所有しているのだから だから 所有しようと しないこと 西洋的考えと東洋的考え プラトンが西欧的思想の考え方の根幹をつくりました。すなわち人間の知性が自然と対峙し最終的には自然を自分の意志に従わせる思想です。その後、デカルトが「我思う、故に我あり」と人間の意志と自然がはっきり対立する物心二元論を発表し、ヘーゲルがその対立する人間の意志がやがて自然を征服する絶対精神にいたるとして、その人間の自然征服の過程を弁証法として理論化した。 近代科学の精神的バックボーンになっているのが弁証法です。 一方東洋は西欧とはまったく違う道を辿りました。 西欧の人間が自然を知性で支配しようとしたのに対して、いかに自然と人間が融合するか、自然と深い関係を持つかに重点をおきました。 だから、かつては西欧より東洋のほうが物質文明は進化していたが、近代文明の切り札である科学が知性による自然支配の思想となり、自然をいかに支配するかに腐心した結果、物質文明は西欧が繁栄し近代化では東洋を抜き去った。そして現代に至りました。 ですが西欧にはその自然征服の思想のお釣が、今与えられている。科学は自然を敵視したものです。いわゆる唯物思想です。 ですから、西欧から共産主義思想が生まれたのは必然です。 知性が自然を支配しようとする唯物思想の行き着く先は共産主義です。たまたま、共産主義は帝政ロシアで起こったが、これは成り行きです。ロシアで起きなくても、他の西欧の国で起きていたでしょう。その最有力候補はフランスです。オーストリア・ハンガリーのハプスブルグ王朝や、ドイツのプロイセン王朝はゲルマン民族の勤勉、倹約精神が王朝まで浸透していたし、宗教改革が為された国だけに、超唯物思想にはなじめなかった。 やはり、フランスをおいてない。ただ地理的に恵まれていた。ロシアに比べてただそれだけの理由です。 ニーチェがデカルトやヘーゲルの知性、理性の哲学を真っ向から否定し、非合理主義を打ち出したが、結局ニーチェの哲学も西欧の、科学重視の近代哲学の、裏の世界だけであった。これが西欧近代思想の歴史です。結局唯物思想です。 一方、東洋の思想は国家経営、王朝経営としては、孔子の儒教精神が、都合がよかった。そこが西欧世界との架け橋で具体的にはシルクロードがその架け橋になった。 しかし精神世界においては、老子の道教が軸になり、空海を通じて日本に伝わった。 その道教の中核になるのが、自然崇拝です。自然のなかに溶け込み自然とともに生きる考えです。 ですから、西欧は意志の思想です。東洋は無為の思想です。 西欧は知性、理性の思想です。東洋は感性の思想です。 だが過去100年の思想の流れは完全に西欧から東洋への流れです。 物質が豊かになれば、精神は貧困になる。 そして精神が貧困になると、またやがて物質が貧困になる。 結局はまた精神の豊かさを求めることになる。この繰り返しです。 今、日本は精神の貧困が極に達し、そこから物質の貧困がはじまっている。 今、そういう中で必要な精神的態度は無為の思想です。 今、必要な世界の思想は無為の東洋思想です。 ある意味で抑圧から発散の過程に入っている。 水が熱せられて100度になると蒸発する。それが世界の人類がつきつけられた客観的世界です。 |