不安

生きるとは 危険なジャングルの中に放り出されること

死ぬということは ジャングルから広大なサバンナに抜け出すこと

生まれて そして死ぬというくり返しは 夜のジャングルから 朝のサバンナへの行き帰り

それが本当の生きるということ

だけど あなたは 人間が勝手につくった檻の中にいる

檻はジャングルにもサバンナにも もともとないもの

なにかまわりの景色と合わない不自然なもの

その中に入って 生きている

鉄の格子でできている檻は丸見えのもの

その中からジャングルで起きている景色を見ていると

ますます檻から出るのが恐くなる

それが 檻の中で生きるものの愚かな宿命

不安という 目に見えない 檻の中だけにある幻想

檻から出れば 無限の広がり

すべては あなた次第の 無限の自由

だけど あなたは 檻の中から出ようとしない

不安だらけの檻の中で ただ震えるだけ

不安に対してあなたは何もできない

危険に対してあなたは何かできる 勇気さえあれば

不安を選ぶか 危険を選ぶか それは あなた次第



リラックスした生き方

人には生まれたときから具わっているもの(本質)があります。
釈迦はそれを仏性とか慈悲心と言いました。
キリストはそれを愛と呼びました。
モハマッドはそれを インシュアラー(神の思し召すままに)、アラーアクバル (アラーの恵み)と呼びました。
呼び方などどうでもよい。
問題は、ほとんどの人がそれを見失って、忘れて、その結果、バランスをなくして生きている。
だから、四六時中、心配したり、不安になったりして生きていて、ゆったりと、リラックスしている暇もない。
なぜ、不安になるのか、心配するのか、それは、まだ来ぬ未来の出来事だから今ここで、はっきりさせることは不可能なことです。不可能なことを可能にしようとすること自体が無理なはなしです。それは、本来の自分というのは、今、ここ、(NOW & HERE)にしかおれない。行動を起こせるのは今、ここ、しかない。
そして、その結果が出るのは未来だ。それなのに今結果を求めるという不可能ことを考えるから心が揺れるのです。
だから結果を恐れず今、ここで、ベストを尽くすしかない。
「人事をつくして天命を待つ」
現在、この瞬間に、何かになったり、何か成し遂げることは不可能なことです。
これがリラックスできない原因になっています。
人には、いろいろなタイプがあります。
普通一般のタイプ。このタイプの人たちは常に固定観念で自己認識していないと生きられないタイプです。たとえば、自分は医者だとか、政治家だとか、大会社の偉いさんだとか……。それにへばりついて生きている。
芸術家タイプ。彼等は普通一般のタイプと全く正反対のタイプです。彼等は 固定観念を持つことが自由の喪失だと思っている。自由に生きることが善だと思っている。だから しょっちゅう 豹変する。ときには狂人に、ときには聖人に、そしてまたあるときは普通の人に。気まぐれな人たちです。
完全に狂人のタイプの人たち。彼等は完全に自己放棄している。一体自分は何者か、どこから来たのか全く思い出せない。
そして長い彷徨のすえ、ついに本来の自分を発見した人。
最初の二つのタイプの人は常に何かを達成することに主眼をおいているからリラックス出来ない。
あとの二つのタイプの人は常に、今、ここに、いるからリラックスしている。
心が過去や未来に占拠されてはリラックス出来ない。
前にも言ったように、時間は過去、現在、未来の三つの部分で成り立っているのではない、過去という過ぎ去ったこと、これからやってくる未来だけです。
現在は永遠の一部です。
時間は平面の広がりの中で二次元的に動く。
現在というこの永遠の瞬間は三次元の要素である高さ(深さ)の方向に動く。深いか、浅いかだけだ。このように考えると分かりやすい。
永遠というものに対する認識はこの現在という瞬間しかない。
リラックス出来ない人は、たとえば頭痛がしたら、そのときこの頭痛は何だろう、単なる風邪ではないかもしれない、ひょっとしたら脳に腫瘍ができているのかもしれない、もう命は短いかもしれない、それなのに遺書はまだ書いていないし、やりのこしているものが、あれもある、これもある、ああどうしよう、とパニックになる。
これは、思考(というより連想だが)が水平的(二次元的) に動くからです。
一方、このように考えることからはじめる。最初は考えるが、自分の体の奥深くに思考を沈めていく。この頭はなぜ痛いのか、痛いと感じるのはどこが感じるのか、人間は外部のことをほとんど五感(目、耳、鼻、口、肌)で感知している。痛いのもこの五感で感じているはずだ。そこで、この五感の働きを止めてみる。すなわち、目を閉じ、口を閉じ、耳と鼻は両手で塞いでみる。30秒、一分、3分と続けると、いよいよ苦しくなってくる。
それでも、続ける。死にそうになる。だけど止めない。命懸けだ。その瞬間、突然気を失う。
その気を失う直前に思考が止まり、体が石のような無機物のように見える瞬間があり、自分の体とは思えない、何か他のものを見ているような感じになる。そのとき痛みは消えている。
そして、ゆったりとリラックスしている。
もう一つの方法は、その自分の体を無重力状態におくやり方があります。地球の重力をうけて、人間は常に何かに引っ張られている。それがストレスやプレッシヤーになる。地球の重力から解放されると、それがなくなる。とくに性欲の突き上げから解放される。人間だけが一年365日性欲をもっている。他の動物は発情期が過ぎると、このストレスから解放される。生命エネルギーが重力に引っ張られて、性エネルギーに変わる。だから自分の体と地球の地面との接触を少なくして、他人の体のように客観視する。と突然体が軽く感じ、ほんの少し地面から浮いた感じがし軽快なリラックスさを感じる。
要は自己を如何に客観的に見ることが出来るかがポイントです。