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暗闇の不在 光は実在する だから 不在もする それが 暗闇だ それなら 暗闇が実在なら その不在は 何だろう それは あなたの 自我意識だ よく あなたの想いを 見つめたらいい あなたの意識は 宇宙意識とつながっている 宇宙意識は 暗い 静かな 沈黙の世界だ だが あなたの自我意識は 宇宙意識と 袂を別った だから 暗闇 静けさ 沈黙の不在だ 宇宙の始まりは暗闇 宇宙の始まりの前には何があったのか、創造主が神というなら、誰が神を創造したのか。 宇宙はビッグバンによって生まれたと言われています。それではその前は宇宙でなくて何だったのでしょうか。 ブラックホールとホワイトホールの考え方と同じです。光と暗闇の定義と同じです。 暗闇は光の不在です。光のない状態を暗闇という。ですがあなたが認識している暗闇はそうではない。ネガティブなイメージです。幸せが光なら、不幸が暗闇です。ですが暗闇の本質は光より実在的です。 実在的な定義では暗闇が本質です。光は暗闇というトータルなものを層別に区分けしたものです。ですからビッグバンという爆発の光がその前のトータルな暗闇から分化されて出来て宇宙が生まれたと言っていいでしょう。 あなたと空気との境界を認識するには光が必要です。暗闇の中ではあなたも空気も一体です、分化できない。 暗闇は不変です、永遠です。光は行ったり来たりする。光には源流があるが暗闇にはない。だから暗闇は永遠です。 ブラックホールが暗闇という宇宙創造への入り口だったら、ホワイトホールが光という宇宙への出口です。 まず暗闇の本質を理解してください。 もうひとつ、いろいろな宗教がありますが、あるひとつの宗教を除いて、神の概念に光を採用しているのが殆どです。 バイブルでもコーランでも神は光だと言っています。もっとも典型なのは、ゾロアスターです。日本神道の天照大神信仰も太陽、すなわち光信仰です。 だがひとつだけ「神は絶対なる暗闇です」と言っている宗教がある。イエスも学んだエッセネ派、日本では景教(キリスト教ネストリウス派)と呼ばれ、戦国時代に入ってきたキリスト教イエズス会よりはるか昔、聖徳太子の時代にすでに入ってきたものです。原始ユダヤ教とも言われたものです。 イエスの真の教えはこのエッセネ派に継がれました。 他の宗教の殆どが何故、光を神の象徴にしたのか、「神が光」ということより人間の暗闇に対する恐怖が理由です。そこから、人間の都合で「神は光」なりと言っただけです。宗教もいい加減です、神も人間の都合で決めてしまう。 何故、人間は暗闇を恐れるのか。理由はシンプルです。人間を含む動物にとって暗闇、すなわち、夜は危険でいっぱいです。太古の時代は人間も洞窟やジャングルに住んでいました。 殆どの動物が夜に食事のための狩りをする。夜の方が狩りはしやすいからです。 それだけ、肉食動物の食事の対象になる動物にとって夜は危険なのです。一方光のある昼間は安全です。動物は火を怖がる、だから光りを自分達の守り神にした。ただそれだけの理由です。 宗教なんて、そんなたわいもない、単純なものです。 そして、この暗闇に対する恐怖、逆に言えば光に対する崇拝が永い人類の歴史の中で、潜在意識に烙印されてしまった。これを今の人間も引きずっている。 本当のところは、暗闇にこそ静けさとリラックスがあるのです。だが一般には人間は暗闇の中にいると、すぐに光をつけるか、それとも眠りにつくか。どちらかの行動を取る。 どうして、その暗闇の中でゆったりと目を開けていられないのか。それは永い人間の歴史の中で刻まれた潜在意識のせいです。 この潜在意識を克服しないかぎり、人間は暗闇の恐怖から逃れられない。 暗闇を死として恐れるのもすべて太古の時代に潜在意識に刻印されている危険という、すなわち、死という恐怖からです。 だが、本来暗闇が一番安全です。落ち着く。リラックスできる。死が本来そうであるように。 イエスがなぜエッセネ派で学んだか、また死を恐れない行動をとれたか、その神髄がこの暗闇に対する理解とそれを使った手法をマスターしたからです、特にインドで学んだヨガからです。 |