コインの裏表

明るい中での まったくの 沈黙は 最悪だ

暗い中での まったくの 騒音は 最悪だ

明るい中でこそ 騒音が 似合う

暗い中でこそ 沈黙が 似合う

光の中の騒音と

暗闇の中の沈黙は

同じコインの裏表

騒音も ハーモニーになっていれば いい

あなたは どちらが 好き?



沈黙は暗闇

普段あなたが、何かを見ていても、実は何も見ていない。それは、あなたがその見ている対象に注目していないからです。
例えば、あなたが桜の花を見ているとしましょう。だがあなたは桜の花を見たその瞬間、見ているあなたはどこかへ行ってしまっていない。なぜなら、桜の花を見た瞬間、あなたは自動的に、習慣的に、考え始める、"この花は桜という花で、非常に美しい、だから自分は桜の花が好きだ"という風に。そうしたら、もう桜の花を見ているあなたはどこか他のところへ去ってしまっている。見ているあなたはもうそこにいない。なぜなら、あなたは、この美しい桜を自分のものにしたいという次のなんら桜の花とは関係ない考えに移動してしまっている。
注目するとは、あなたが桜の花を見ていると同時に、その桜の花を「見ているあなた」をも見ている状態のことをいうのです。それが可能なのは、ただただなんの思考も入れずに見ることです。
あなたは"これは桜の花で美しい"と思っても(実際には考えているのですが)、桜の花は自分が桜という名の花だということも知らない。それはただ咲いているだけです、自分は桜という名の花で、非常に美しいと思われているなんて、その花にとっては関係のないはなしです。その花はただ咲いているだけです。
注目するということは、思考という言葉の邪魔を入れない沈黙の覚醒状態をいいます。
ただ見る。この"ただ"が大事なポイントです。"ただ"の状態のときはじめて、あなたはそこにいて、そして見ている。そうするとその純粋な"見る"は、存在という大きな鏡に反射されてあなたのところへ戻ってくる。そしてまた見るというサイクルを繰り返す。
そのときあなたは存在という鏡から反射されてくるすべてのものを受け入れる状態になっている。
次にその見るということを体験する。体で経験する。
たとえば、あなたが、何か食べていると、ただ食べるという体験をする。そこには、子うるさい言葉の邪魔はない、沈黙の静けさです。
眠たくなれば、ただ眠る。沈黙の眠りです。
沈黙の食事、沈黙の眠りを体験する。それは存在という鏡から映され、反射されて、あなたのもとに戻ってきたもので、存在にスクリーンをかけられたあと、残った実在です。
実在ですから、体験できる。だがそのスクリーンの中を通るためには、沈黙というメッシュの細かさまで結晶化されていないと駄目です。
普段あなたが桜の花を見ているようなレベルは、注目しているのではなく、桜の花のまわりを走りまわって、近づいたり、離れたり、うろうろしているだけで、そのレベルのメッシュでは、沈黙という細かいレベルのメッシュを通り抜けることは出来ない。
そしてこの見るというサイクルはエネルギーの循環を促す。
あなたが何かものを見るということは、あなたの目からエネルギーを放出しているということです。普段の、まわりを走りまわりながら見ている運動は反転的です。
だから戻ってこないので、だんだんエネルギーを消耗して疲れてくる。
人の多い混雑した中にあなたがいるとき、目がくしゃくしゃして疲れてくる。
まわりを見る目から放出するエネルギーが反転運動して戻ってこないためエネルギーを消耗するからです。
そういうとき目をつぶると少し楽になる。それは暗闇を目の中に入れるからです。
沈黙の冷たい静けさを体験するからです。
沈黙は無思考状態のことです。
ただ、見る。これが沈黙の暗闇の瞬間です。
そのときあなたは音のない音の暗闇の世界に入ることが出来、死の恐怖を乗り越えて、死という暗闇と友達になれる。