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宇宙の愛 他人を愛するということは 自分を愛すること 他人を愛せない人は、自分も愛せない 愛するということは 大切にすること 大切にするものは かけがえのないもの かけがえのないものは ユニークなもの ユニークとは 独りでいることができること 独りでいることができるとは 全体と一体である安心感を持っていること 全体とは宇宙のこと だから愛するということは 宇宙の愛を感じること 自分と宇宙とが一体になってはじめて愛を知る だから人の体を小宇宙という いつになったら小宇宙が手をつなぎ合って大宇宙と融合できる日が来るか あなたのすぐ横にいる人から まず手をつなごう 根(ルーツ)の再発見 ある心理学者が"自己実現"という定義をした。 彼は、自己は宇宙の一部で宇宙とつながっている、そのつながっている部分が根で、その本来持っているものを再発見することを"自己実現"と呼んだ。 本来持っているということは、生まれたときには、自己実現はしていないということで、ただ単に可能性を、その萌芽を持って生まれてくるだけで、その点においてはどんな人間も平等だ。自己実現する機会は平等に与えられているが、その機会を利用するか、しないかは、その人の自由だ。宇宙・自然は強制はしない。選択は個人に委ねられている。 ある哲学者は、人間が生まれることはジャングルの世界に放り出されたようなものだ、といっている。 宇宙と自己が一体ということを知らず、自己は宇宙の一部だということを知らずに、この世界に生まれ落ちたら、確かにジヤングルに放り出されたようなもので、恐怖と不安でいっぱいの苦痛の人生になる。しかも、現代人は、自分をも含む全体である宇宙・自然と闘っている。勝ち目は100%ない。部分が全体に勝てるはずがない。 自然が自己をも含む全体であることを知っている人が、本当の宗教心を持っている人、すなわち唯心論者で、自然は自己とは別だ、自己はあくまで自己だけだと、錯覚している人が、無神論者、唯物論者だと言えるでしょう。宗教団体に入信した人だから唯心論者だとは決して言えない、逆にそういう人達のほうが実は無神論者が多い、日本の宗教はほとんどご利益信仰だから。また中途半端な科学者にも唯物論者が多い。彼等は自然を支配、征服しようというまったく不可能なことをしている。アインシユタインのように、人間の知性の限界まで探求して、そして、自然に打ち負かされた科学者だけが、如何に人間の能力が微少なもので、自然は巨大だということを知る。彼も、結局何も分かっていないのが人間だという結論に達した。 それでは、根は一体どこにあるのでしょう。もちろん"臍"です。しかし実感が湧かない。だからまず、一段ずつ進めてみましょう。 人間には知性がある、知ることです。本からでも、人からでも、経験からでも教えてもらうことです。この知ったことは記憶されます。記憶するということは、あとで思い出すためにあります。そのときにそれぞれの記憶に名札がないと思いだせない。ルール・基準がいる、相対性がいる、いわゆる理屈が要る。それは頭(脳)が得意とするところのものです。 次に感性がある、感じること。感じたことは記憶されない、記憶していると思っているだけで記憶するのは脳だけです。感じるということは触れるということです。だから脳に記憶していると思っているでしょうが、実際は触れた部分が、そのタッチの余韻をのこしているのです。ピアノを弾く人は、指が楽譜を憶えている。これは記憶ではなく余韻です。 記憶は質量があるから重い、重苦しい。余韻は心地いい。質量がない(すなわち物質ではない)から軽快です。そして一番心地よく感じるのがハートです。心臓とちょうどラップして在るのがハートです。セックスでもいちばん気持ちよく感じるのはハートで、性器ではありません。 性器だけ感じるのなら、それは本来のセックスではない。夫婦になると、性器だけ感じるセックスになっていく。そうなると、そこにハートはもうない。頭で思っているだけ。 これほど醜い姿はない。だから、夫婦にも変貌が必要なのです。離婚は変貌ではない、離婚は打算で、愛情が変貌だということが理解できないから、物質的世界になればなるほど離婚が増えるのです。 変貌出来ると、なにかどっしりと落ち着く。それは臍に意識が移るからです。 性欲をもよおすのは、生命エネルギーが地球の重力(引力)に引っ張られて肉体からそのエネルギーを放出することで味わう解放感からくるリラックスをしたいという願望が原因です。くしゃみをしたあとの解放感と同じです。アメリカの宇宙飛行士が無重力の宇宙の旅をしたとき、まったく性欲をもよおさないことに気づき、そこから精神世界に入った人が多いと言われています。 臍に意識が移ると、性エネルギーになって体外に放出されようとする生命エネルギーをもういちど上昇させて、ハートに戻すことが出来る。そのときの快感が本当の悦びなのです。 そこで、やっと、臍に本当の根があることを再発見する。 だから、夫婦というものは、変貌できれば天国だが、変貌出来なければ地獄になります。 根の再発見のもう一つの方法は、座禅という方法です。座禅は、あのダルマで有名なインド人の達磨大師が、釈迦が開いた仏教がインドでは開花しないことを悟って中国に伝導にいったとき、洞窟のなかの壁の一点に向かって何日間も寝ずに集中することで外界の現象をすべてこの一点に圧縮して、ちょうどブラックホールが光りも含めたすべてのものをのみ込むように、臍がブラックホールになって外界をのみ込む瞑想をしたやり方です。 この話しには、意味ふかい余談がある。 達磨大師がこの瞑想をしていると、どうしても眠気におそわれ、まぶたがおちて、眠ってしまう。彼は命懸けだ。(ここが大事だ)そこで眠らないために自分のまぶたを切り落とした。その切り落としたまぶたが二週間後、芽をだした。その洞窟のある山がTAHという名前だった。それから、眠気が生じたとき飲むお茶のことを、TEA,TOO、CHAI、茶……・というようにほとんどの国の言葉でも、お茶のことばはよく似ているのはこの逸話から来ています。 そして、その座禅が中国から日本に渡って、茶道が生まれた。 日本人にとって、最も根の再発見に適した方法が座禅だといわれる所以です。 |