透明人間

透明人間は 便利で 不便だ

相手に 悟られずに 傍に いれる

だが 相手に 意志を 伝えられない

ひとつ 価値ある点は

相手に 見えないものに 話しかけさせることができる

これは 透明人間にとっては 何のメリットもない

しかし 見えない相手に 話しかける術を知る

見ることのできない 相手にとって

これほど のすばらしい プレゼントはない



何もないものを考える

あなたの体は二つの部分に分かれている。ふたつの部分に分かれているということは、ふたつの体があるという意味ではない。ひとつの体が外部の部分と内部の部分の二重構造になっているということです。肉体が外部の部分で、考える心が内部の部分です。
一つは肉体です。もうひとつは考える心です。両方とも物質で構成されているエネルギーの波動です。
考える心は肉体よりも深い部分にある体です。
あなたは、自分の肉体をどうやって認識できますか。他人はあなたの肉体を認識することは出来るが、あなたは直接認識することは出来ない、鏡で見るしかない。だから外部の部分だと言ったのです。
考える心は記憶の蓄積だと言いました。それは鏡では見えません。
あなたの頭の中にある鏡で見るしかない、他人からは見えない、だから内部の部分だと言ったのです。
内部の部分である考える心はあなたにより近いところにあります。
それだけ微妙です。微妙ということは、あなたと考える心が同化する恐れがあるということです。
考える心を本来の意識(あなた)と同一視するのがエゴだと言いました。
エゴは隙を見せると、すぐに考える心とあなたを一緒にしてしまう。
それは、肉体のように外部の部分であれば、はっきりと区分けはつくが、考える心は内部の鏡でしか見えない、しかもエゴもその内部の鏡を見ているから、区分けが困難です。
たとえば、誰かがあなたの肉体を指して「あなたの肉体は病んでいる」と言われても、さほどあなたはショックを受けない、充分受けとめられるが、あなたの考える心を指して、「あなたの考える心は病んでいる」と言われたらあなたは傷つく。それは、あなたのより深い、他人に見られたくない部分を指摘されるからです。
思考はこの考える心からやってくるのですから思考を止めようとすれば、その根元である考える心を取り除かなければならない。ですが考える心は肉体よりも深い部分にあるから、取り除くのは困難です。しかも外部の部分である肉体は死ぬと灰になっておしまいですが、考える心は次の生までひきずります。
これだけ執着する、考える心を取り除くには、何もないものを考えることです。
何もないものを考える、これはまったく困難なはなしです。
何か具体的な対象があるから考えられるのであって、何もないものをどうやって考えることが出来るのでしょうか。
ここで有効な手法が禅の公案です。答えのない問題を師匠が弟子に与えて、答えを持って来させる。答えがないということを考えつくまで考えさせる。そこまで行くと勝手に思考が止まる。
あなたがリラックスしたいと思ったら、徹底的にリラックスしないことです。
息を徹底的に吸わなかったらどうなりますか。あなたは窒息死しますか。
結局、窒息死寸前に体が勝手に吸ってくれる。
不眠症に悩んでいるひとの治療は寝させないことです。彼等は夜眠れないからと言って一日中うとうと寝たり休息をしょっちゅう取ったりしている。夜眠れないのは当たり前です。充分に昼間休んでいるから、体が夜になっても睡眠を必要としないのです。
ですから、答えのないことを徹底的に考えると、最後は勝手に思考が落ちていく。
だが徹底的に考えることがポイントです。
そうすると思考という言葉が消えて沈黙という宇宙レベルの言葉が現れる。
それが有限なものから無限を生むということです。そのとき無限の悦びがあなたのものになる。