知って やる

知って やる

やって 知る

知って やる

やって 知る

知って やる

やって 知る

そして 最後は

知ったことを 全部捨て

やったことも 全部忘れて あの世行き



知識と体験のバランス

あなたは何かを見ている、そのときあなたが見ているものはふたつある。
見る対象と、見ているあなたです。だがいつもあなたは見る対象にしか意識がいってないから、見ているあなたを見ることを忘れる。だから知識ばかり蓄積されて、体験が蓄積されない。体験までいかないと、見るというエネルギーが循環しないため、実現までいかないで完全燃焼しない、そしてフラストレーションが溜まり悪循環に陥る。
その悪循環を断ち切ることです。
人間は不可能なことに挑戦する性癖を持っている。しかも完全に生を生ききっていない人にこの性癖を持つことが多い。その原因の根元にあるのは、人間は動物と神との狭間で行ったり来たりしながら生きているものだということ、そして動物に向かうときは過去の中におり、神に向かうときは未来の中にいて、決して現在という瞬間にいるあなた自身を見ていないものだということを知らないからです。
動物の世界にいながら、神の世界にいようとする。
神の世界にいながら、動物の世界にいようとする。
それは不可能です。
感覚で捉えられないものに集中する、そうするとその対象と、その対象に対峙する集中者の両方を超えたところにあなたがいる。
これはとても難しい。
あなたは見たこともないものをイメージすることができますか。不可能です。その不可能なことをやっているのですから難しいのは当然です。
あなたは、花を見ると花のイメージを描くことが出来る。
花を見たことがない人に花のイメージを描きなさいと言っても無理です。
だがそれをやってみる。そうすると不思議なことが起こる。
さっき言ったように、普段あなたはものを見るとき見落としているものがあると言いました。見ているあなたです。
見たことがないものをイメージするという無理なことをやっていると、見落としていた、見ているあなたを見つけることが出来るようになります。
こっちとれば、あっちとれず。あっちとれば、こっちとれず、です。
見られているものを見ているときは見ているあなたは見えないが、見えないものを必死に見ようとすると、見ようとするあなたが見えてくる。
これで見物されるものと、見物者の両方をあなたは見ることが出来るようになりました。
あなたは見物者であるあなた自身を見ることが出来ました。これを自己発見といいます。
ふつう、見る者という主観と、見られる物という客観がある。そしていつもあなたは見る主観を忘れて、見られる客観を見ているが、主観と客観の両方を見ることができたら、客観のほうを全面的に捨て去ってしまう。そうすると残るのは主観、すなわちあなただけです。
ここで大事なのは自己発見を知ったら、発見を捨て去ると自己だけが残る。その発見を全面放棄することがポイントです。
あなたは何かを知るときには、莫大なエネルギーを消費する。
あなたが誰かを見るときは、あなたの目から見る対象にエネルギーが放射される。その放射されたエネルギーが対象物のところに行って、跳ね返ってあなたに戻ってきてはじめてあなたはその対象物を知ったことになる。もしエネルギーが戻って来なかったら、知らないままでエネルギーを浪費したことになる。
あなたが放射したエネルギーが循環してあなたのところへ戻って来てはじめてあなたは体験したことになる。
頭でっかちがたくさんいる。本を読んで、知識は豊富です。ほとんどどんな分野のことでも知っている。だけど彼は肝心の自分を知らない。それでは、どんなに多くのことを知っていても無駄です。知ったことになっていない。
エネルギーが行ったままです。戻ってこない。戻ってこさせる為には体験が要る。
そして体験をすると、体験する対象をすべて捨て去る、すなわち知識を捨てる。
残るのは知ったあなただけです。知った知識に執着すると、知ったあなたにスポットライトが当てられない。だから莫大なエネルギーを消費して得た知識をごみ箱に捨て去る勇気が要る。そうしたら空っぽになったあなたの体の中にあなただけが残る。それが本当の自己発見です。
知識は大事です最初の段階では、ですが次の段階では全部の知識を捨て去ることがより大事なことです。それが体験です。このバランスがとれていないと自己実現はむつかしい。
努力して得たものが必要でなくなったら、執着せずに捨て去る。
このことを象徴的に表現した、ある説話を思い出しましたから紹介しておきましょう。
あなたが歩く旅をしていて、ふと川に出食わす。どうして川を渡ろうかと思ったら、そこに一隻の船があった。あなたは助かったと思ってその船に乗って幸い、向こう岸に着けた。そこであなたはその船をどうしますか。
また川に出食わしたとき、今度は船がそこにあるかどうか分からないからといって、船を担いで旅を続けますか。そんなことをしたら、あなたはすぐに倒れて旅は続けることが出来なくなる。川をわたるために船はある。川を渡ることが出来たら、その川の岸に捨て去って旅を続けることです。
という話ですが、その船があなたが努力して得た知識です。知識というものに執着して、思い切って捨て去ることが出来ないと、今度はその知識の重さであなたは押し潰される。世の中のものは、如何なるものも所有物ではないのです。
誰もが必要なときに使う公共物なのです。たとえそれがあなたの名義の物であっても、それはあなただけの物ではないのです。体験はそれをあなたに教えてくれる。