在る と 居る

居るとは 場所を 明示している

在るとは 時空を 明示している

三次元 と 四次元 の違いだ

あなたは 肉体を持つ 三次元の物体

だから ふつう 場所に居る

その 三次元の物体である あなたが

四次元の 世界に在るということを 感じる

その時 あなたは 時間と ともに 時空の世界に居る



わたしが在ることを感じる

見ている者(見物者)を見るにはどうしたらいいか。
見る対象を落とすことで、見ている者を浮かび上がらせるのがひとつの方法でした。
ここでは、見ている者すなわち"わたし"が存在することを感じるやり方です。
ふだん、あなたは"わたし"の存在を頭、すなわち考えとして捉えている。
ここでは、あなたの存在をトータルで感じることです。
どこが違うのか。
わたしが居ると考えているときは、あなたはいろいろな付帯条件が勢揃いする。
まずは、あなたの名前です、そして男か女か、宗教は何か、職業は、……。
だがわたしが在ると感じているときは、その付帯条件は外的なものではなくなる。直接、今、ここに在る、内なるあなたに関わることです。
あなたが椅子にすわっているとしましょう、そして"わたしは在る"と感じたら、椅子とあなたの体との圧力を感じ、その椅子の座る生地がレザーだと、そのタッチを感じ、そのすわっている部屋の中を充満している沈黙の音を感じ、あなたの体の中の心臓の鼓動の音を感じる。
あなたの存在を感じるということは、このようにあなたの体の手や目や鼻の、今、ここでのムードを知ることです。
あなたの存在を考える心で考える場合は必ず、他のものとの関わりがある。
だから外的なものに意識が行く。考える心は記憶という言葉の蓄積です。言葉は他のものとの関わりのために存在する。他のものとのコミュニケーションの道具です。
だがわたしが在ることを感じることは他のものとはまったく関わりない。
あなたの内にあるものとの関わりだけです。
外的なものは、限りがある。すなわち始まりがあって、終わりがある、有限なものです。だから外的という。外が無限だったらあなたは怖くて生きていられない。そしてその限りあるものをあなたは限りなく求める。それが考える心と手を組んだエゴのやることです。だがそれは不可能です。
始まりがあるものは必ず終わりがある。
あなたのこの世での存在はあなたの母親の卵子が、父親の精子を受精したときからは始まる。すくなくとも肉体的には。
あなたの記憶の蓄積である考える心はせいぜい2才か3才からしか始まらない。そうしたら妊娠してから約3−4年の間、あなたはどこにいる。
宇宙と、存在と一体でいる。"わたしは"という考える心はまだそこにはいない。
そして死んだらまた考える心も死んで存在と一体になる。
だからあなたの存在は永遠に続く。始まりも終わりもない。
それが内なる世界の広がりです。それが"わたしが在る"と感じることです。
あなたが生を最小限に生きたとき、"わたしが居る"ことを考える。
あなたが生を最大限に生ききったとき、"わたしが在る"ことを感じる。