|
振り子時計 振り子が チクタク チクタク チクは不安 タクは怒り チクタクは恐怖 チクタク チクタク は悩み 振り子は 真ん中に止まると チクタク が消える そうすると 時計が止まる 時間が止まる 時間にとって チクタクが食べ物 不安 怒り 恐怖 悩み が 時間の食べ物 振り子を真ん中に止めるには チクタクを与えないこと まず チク(不安)を やらない そして タク(怒り)を やらない そして 次に チクタク(恐怖)を やらない そうすると 時間が止まり チクタク チクタク という 悩みが消える 振り子 昔、どこの家にも振り子時計があった。バネが緩んでくるとネジでバネをしめる。 振り子はチクタクと右の端まで行くと、こんどは左の端まで行く。必ず端まで行く。 右の端から左の途中までしか行かないときは時計は進まない。端から端まで行ってはじめて時計をまわす歯車を進める力が伝わる。その力はバネの張った力(緊張力)と、端から端に動く振り子が生む力(モーメント)との合作だ。ところがモーメントは少しずつ減少して行く。ブランコに乗ったことのある人なら分かるでしょう。最初思い切り振ったら、大きな力が与えられてしばらくは何もしなくてもブランコは振っているがそのうちにだんだん振りが小さくなり最後には止まる。 だから振り子独自のモーメントが徐々に減少して行く分をバネによる力で埋め合わせして振り子を端から端まで振って、歯車を動かして時計を進めているのです。 人の心の動きも正にこの振り子時計と同じ原理です。 緊張というバネが、極端から極端へ振る心という振り子に力(モーメント)を与えているのです。 心という振り子は時間を進めなければならないから、どうしても端から端まで振らなければならない。そうするとその思いがまた緊張を生んでそれで振り子に力を与える、ということを永遠に繰り返しているのが、我々一般の人間です。 だから、永遠に緊張、すなわち、恐怖、不安、心配、はなくならない。振り子が真ん中で止まらない限り。 たとえば、肥満で悩んでいる人は、常に食べることに執着している。すなわち、思い切り食べるか、全く食べないか。しょっちゅう体重計とにらめっこして、ちょっとでも体重が増えていると、さあ、絶食だ。ちょっと体重が減っていると、さあ、思い切り食べる。一日三食が一番適切な減量の方法なのに。一日一食にするとかえって体重は増える。 たばこを吸っている人もそうです。ある日突然禁煙する、そして禁煙を解除すると、前よりももっと吸う量が増える。 そういう中毒症状の人はみな極端な思考パターンをもっている。これはストレスという緊張のバネが力を貸しているのです。 だから、ストレスという、不安、恐怖、心配という緊張を解消しようとするなら、振り子を真ん中に止めることです。そのためには、振り子が振るモーメントを減らすことです。 ではその心の振り子のモーメントとは何なのか。まさに欲望という煩悩がその実体です。欲望はどんなものでも、際限がない。課長になりたい、なったらもうそれで満足だ、なった途端、こんどは部長だ、部長にさえなれたら、もう退職してもいい、……社長だ、会長だ、叙勲だ、際限がないのが欲望です。だが一方欲望は進歩というコインの裏の部分でもある。進歩も際限がない。だけど、欲望と違うのは、欲望は利自心しかないが、進歩には利他心がある。利他心は自己を客観的に見ることが出来る。自己と他人との間を行き来するのが利他心の特性だから、時々は他人のことを考える客観性をもっている。 振り子が真ん中に止まってしまえば利他心もなくなる。 仏教では中道の精神を教える。 正しく見、正しく聞き、正しく喋り、正しく生き……と。 しかしこの時間に縛られている、時空の世界でそれは、言うに易し、行うに難し。 それよりも、どんなことでも受け入れることが出来る大きな心の容器をつくることが大事です。どんなことでも。それはコインの表も裏もということです。宗教のほとんどはコインの表しか認めない。とくにユダヤ教をベースにした、すなわち、聖書をベースにした宗教である、キリスト教、イスラム教はコインの裏にはきびしい。だが誤解してはいけない。 モーゼもイエスもモハマッドもユダヤ教、キリスト教、イスラム教とは全く無関係です。 のちのちの人たちがビジネスのためにこれらの宗教という名の企業をつくっただけのことです。だから宗教団体の信徒はみな鼠講の末端会員と同じで、なんとか一段でも上の位にあがろうとやっきになっているサラリーマンと同じです。課長にさえ、部長にさえ、役員にさえ、社長にさえ、大臣にさえ、総理大臣にさえ、そこまでだ。天皇にさえとは日本人は決して思わない、すなわち限度がない、見果てぬ夢がトラブルを生む。アメリカではだれでも元首になれるチヤンスはある、大統領でお終いだ、際限がある。ここが21世紀の世界を鳥瞰したときの日本の最大の課題です。天皇家も一般人なったほうが天皇も日本人も幸せです。 その兆候はすでに現実にあらわれています。 |