フィーリングとタッチング

知ることは あたまですること

フィーリングは ハートですること

タッチングは ボディーですること

どれにも 言葉がある

あたまの言葉は 活字の言葉

フィーリングの言葉は目が発する言葉

タッチングの言葉は まさに ボディーランゲージ

人のコミニュケーションの87%はボディーランゲージ



神秘な世界の言葉はフィーリング

真の宗教は神秘の世界にいかにして入れるかを実体験することだと言いました。
今までにも何度も言ってきましたが、思考の世界すなわち頭から、フィーリングの世界、すなわちハートに意識を移さなければなりません。
心には、ふたつの 形態があります。
記憶の蓄積が考える心だと言いました。
いっぽう思考していない心がある。あえて言うならば純粋な心です。
純粋な心と、考える心のふたつの 形態がある。
その純粋な心を意識と呼ぶ。
たとえで言えば、純粋な心である意識は、思考の入っている考える心が雲に対して、その雲が漂うことの出来る空です。
雲という思考に汚されない空です。
あなたの心の絵には当然意識という空がある。だがその空に雲がありますか。
またその雲は白い雲ですか、それとも暗い雲ですか。だが雲には変わりない。
白い雲は、あなたが神のこと、宗教的なこと、神秘的なことを思考しているということです。
暗い雲、まさに空が暗い雲一面に覆われて、太陽や月さえも覆い隠され、今にも嘆きの雨が降らんとしているとき、あなたは必ず欲望の原点である性欲に思考が集中している。
性欲は神がつくったトリックである誘惑の原点です。
人間の祖であるアダムとイブのはなしです。
神がすべての創造主という概念にはどうしても解決出来ない点があります。
神が天地創造主なら、なぜ神は悪魔をつくったのか、何故、罪をつくったのか。
神は完璧なら、何故、悪があるのか、そして神は悪いことをするなかれと人間に言う。それなら最初からそんなものをつくらなければ良かったはずです。
これがキリスト教の一番の弱点です。
そこで、トリックを施した。
イブは神が禁じた知識という木の実を、アダムをそそのかして食べさした。しかもその誘惑に最初乗ったのはイブです。なぜイブは乗ったのか。蛇がイブを誘惑したからです。
蛇は男性の性器の象徴です。女性のイブがまず性欲という誘惑に乗った、そしてイブを通じてアダムは罪の原点の木の実を食べた。これで人間の罪が完成したのです。
イブは男性の性器に魅せられて罪を犯し、アダムは女性に対する性欲に魅せられて罪を犯した。だから神はしかたなく人間をエデンの園から追放した。その罪は神がつくったものではないというのです。人間がつくったのだと。罪という悪魔を。なんと狡猾ではないでしょうか。
ですからキリスト教ではセックスを悪とみなします。セックスは悪魔のつくった最大の罪だと。だから、女性は悪魔の化身だと。
この意識がキリスト教西欧世界の原点であることを忘れてはならない。
・・・・・・をするなかれ、ばかりです。偽善はここから発生しました。
話がちょっとそれましたが、白い雲も暗い雲も雲にかわりはない。
思考が入っている。
ここで対象にしている心は雲の無い心です。思考のない心です。その純粋な心は、表現は出来ません。表現出来るのは言葉で構成されている思考です。思考がなければ表現も出来ない。
だから表現出来ない純粋な心の状態におくと、意識は頭からハートに移る。
そして考えることが消えて、感じる世界に入れる。
考える心を、思考しない純粋な心である意識と同化させようとする自我(エゴ)をハートに移すことでエゴを消す。
エゴは頭で考えたものの投影です。だから頭からハートに考える心が移されるとエゴは消えざるを得なくなる。