始まりと終わり

始まりのあるものには 終わりはない

終わりのあるものには 始まりはない

これが 宇宙の摂理

神は 永遠だ 創造主だから

はじめに 言葉(神)ありきだ

終わりはない

あなたは 輪廻転生する 被創造物だ

だから はじまりは ない

だから 終わりがある

死という終わり

輪廻転生を閉じる終わり

無限とは

始めもなく 終わりもないもの

神も所詮 有限なもの



無限の拡がり

瞑想はイマジネーション、想像力を駆使したものが多い。
人間の約30%は生まれ持って想像力のたくましい人がいるからです。
特に女性に多い。
瞑想はすべての人間を、考えることから、感じることへ誘うことで、本来自分という独立した存在はなく宇宙という存在の中の一部分であることを感じる(認識する)ことです。
生後(厳密には受胎後)約3−4年後から始まる自己忘却を取り戻すための手助けになるものです。
釈迦が悟ったときに言いました。「もともと持っていたものを、忘れていただけで、それを再発見しただけのことだった」「何も特別に会得すべきものは一切ない、もともとみんな生まれたときから、いやその前から持っていたものをただ忘れているだけだ、悟りとはそれを思い出すだけのことだ、それを仏性という」
その忘れさせる原因がエゴという自我の誕生です。生後3−4年から始まる純粋な心の上にいろいろな雲をつくっていくエゴという自我が年をとるにつれて幅をきかしてくるのです。そしていつしか純粋な心というキャンパスの上に白い雲や黒い雲をいっぱい塗りつくして(考えるという塗る作業で)完全自己忘却を達成させたのです。
それを思い出す作業が、考える自分から感じる自分への移行です。
そしていったん感じる自分に移行したら、そこにただ存在する(考える自分も感じる自分も消えた全体の一部としてただ在る)自分を発見する。
ただ70%の人間はまず忘れていたということを知ることから始めなければ感じることが出来ない。ですから知識が、学ぶことがまず必要となるが、それがひとつ間違えばかえって障害になる。それが人間の愚かしい一面でそれが原因で悩み、不安、心配・・・といった四苦八苦をつくり出している。
考えることから感じることへの方法として、肉体という宇宙と分離された存在を、宇宙全体を自分の肉体を拡大することで自分の肉体が宇宙全体を埋めつくしてしまう、そして宇宙との一体感を感じる想像をすることです。
前に説明した、宇宙が自分の体の中に入ってきて、自分の体を埋めつくす話とちょうど逆のものです。だが狙いは同じです。
「何かと接触するフィーリングがなくなるまで自分の体を拡げていくと、突然その行為をしている自分がいなくなる」