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第三十九章 大化改新の正統性(正当性) 歴史は時の為政者によって捏造されます。 為政者とは支配者のことです。 支配者がいるということは、被支配者が必ずいるということです。 支配・被支配二層構造の社会があるということです。 支配者が歴史を捏造する目的は、自己の正統性を子子孫孫まで伝えたいからです。 自己の不当性を正当化するために歴史を捏造する。 為政者の正統性とは、彼らの不当性を正当化する騙りの方便であり、歴史書とは「騙り書」以外の何者でもありません。 “賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ” ドイツの鉄血宰相ビスマルクの言葉ですが、この言葉こそ「騙り」以外の何者でもありません。 “賢者は経験から学び、愚者は歴史から学ぶ” これが真理です。 歴史は知識、つまり、頭の話です。 経験は知恵、つまり、体の話です。 小さな子供にセックスの話をしても、それは所詮、知識レベル、つまり、頭の話であって、経験がなければ無意味です。 体が熟成していなければ経験しようもありません。 同じように、国家も経験をするには、国家が熟成していなければ経験しようもない。 国家の熟成度は、国民のレベルに掛かっています。 世襲・相続の差別制度は、支配・被支配二層構造の社会にとって、必要不可欠のものであり、この体制を堅持するための道具が「歴史」なのです。 聖徳太子は、日本の歴史の中心人物であり続けています。 彼の胸の内にあったのは、“賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ”にあったのか、将又、“賢者は経験から学び、愚者は歴史から学ぶ” にあったのか。 「大化改新」が聖徳太子を肯定する出来事であったのか、否定する出来事であったのか、それを判断するのは、わたしたち日本人ひとり一人の責任なのです。 |