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はじめに 室町幕府三代将軍、足利義満は日本歴史のタブーの英雄である。 その理由は、日本という国において、神聖にして侵すべからざる存在である天皇の地位を奪おうとした男だったからだ。 平将門も、天皇の地位を奪おうとした男だ。 しかし、将門と義満では、天皇家に対する陵辱において天と地との差がある。 平将門の大河ドラマは製作された。 しかし、足利義満のドラマは決して製作されない。 江戸時代には、聖徳太子は現在のような聖人として評価されていなかった。 それが尾を引いたのか、つい最近まで聖徳太子のドラマも決して製作されなかった。それが数年前に製作された。 では、足利義満のドラマもいよいよ解禁してもいいのではないか。 日本の真実の歴史を知る上においても、また天皇家と我々日本国民との相互理解をより深めて行く上においても、足利義満と天皇家の間にあった確執を、しっかりと知っておく必要がある。 また1970年に、三島由紀夫は自衛隊市川駐屯所に侵入して、自害した。 彼が書いた、「金閣寺」は、足利義満が建立したものだ。 何故、三島由紀夫はあのような行動に出たのか。 単なる暴挙と一言で片付けるわけにはいかない。 足利義満が三代将軍になったのは11歳の時で、幼名春王と言った。 三島由紀夫の「金閣寺」の最後は、放火した犯人が高台から、金閣寺が燃えあがる場面で終わっている。 何の因縁もないふたりの人間を、600年の時を超えて遭遇させてみたいという衝動に駆られ、著者の想像力を働かして、Part1とPart2に分けて書き出してみたいと思います。 平成15年5月25日 新 田 論
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プロローグ 貞治(じょうじ)五年(1366年)、春王(しゅんおう)は後光巌(ごこうごん)天皇より義満(よしみつ)の名を賜った。 翌年貞治六年、室町幕府二代将軍足利義詮(よしあきら)が死に、その時、十一歳であった義満は、実権を握っていた管領細川頼之の下、翌年の応安(おうあん)元年に元服し三代征夷大将軍に就任した。春王と呼ばれていた頃から、義満は天狗とあだ名されていた。 天狗がその後、限りなき梯子を上ってゆく物語が、そこから始まる。 帝(天皇)の輿(こし)である八瀬童子(やせのどうじと言い、霊柩用の御輿)を勝手に使い比叡山に参詣した天狗は、この輿を梯子にして聖域なる天に登ってゆくことになる。 金箔に輝く三重の塔の上から、大内裏(だいだいり)を見下ろす天狗は、この世の春を花の御所で謳歌した。 その北山第(きたやまだい)の中心の金閣寺が、昭和二十五年、大谷大学生平岡雄仁(おひと)によって焼きつくされた。 燃え尽きる金閣寺を高台から至福の快感で眺めていた雄仁の手には、后・三条厳子(さんじょうげんし)を折檻した帝・後円融(ごえんゆう)の刀が薄気味悪く輝いていた。 第一部 おわりに当たって 天皇になろうとした将軍・足利義満を語ることはこれまでタブーとされていました。 王朝をつくった初代皇帝や天子の出自は一切問われないのが世界の歴史の常識でありますが、この日本という国だけは、天子は絶対に天皇家以外にはなれない不文律が、天孫である天照大神の古代から現代に至るまで連綿と続いております。 是非の論議は別として、世界でも稀なる国家であることは確かです。 しかし、世界の様相は、特に二十世紀の科学の飛躍的発展によって、ドラマティックに変貌しました。 人工人間が二十一世紀中には造られ、どんな素晴らしい脳でも簡単に蘇生できるようになる時代に、今や我々人間は突入しようとしているのです。 そのような中で、単なる神話や伝説だけを迷信し、公式に認められた「記紀」以外の日本の史実を正しく伝えず、間違った日本人観をこれ以上植えつけることは、現代日本人にとって決して好ましいことではないとわたしは思うのであります。 今こそ、本当の日本人観を老若男女すべての日本人に再認識してもらわなければなりません。 このままでは、まったく国家意識を喪失した国民になってしまい、国家そのものを喪失してしまうことになりかねません。 グローバリゼーションという言葉が今や流行語になっていますが、世界の民族 の数を遥かに上回る言語の数を考えますと、グローバリゼーションなど有り得ないと思います。 言葉の違いは、考えの違いを生みます。 中国やインドのような人口の多い国では、言語の数は百種類近くあると言われています。 日本においても関西弁と関東弁(今では関東弁が標準語になっておりますが)ではまったく違い、考え方も全然違うのです。 人間同士の諍いや喧嘩というものの原因はすべて意見の食い違いから起きるものです。 意見の食い違いは、言葉の違いが最大の原因なのです。 そういたしますと、結局は、自分たちの国が如何なる生い立ちの国であるのかを充分認識しておくことが、国家意識を持つことになり、国家を喪失する惨劇を避けることが出来るのです。 国家を喪失した民族の歴史を振り返ってみれば、如何に彼らが悲惨な歴史を背負って生きて来たかがわかります。 国家を喪失することが、どんな悲劇的なものかは、経験したものしか解りません。 その為には、如何にタブー的なことであっても、事実であるなら直視すべきであります。 ある評論家先生が主張しました。 「南京大虐殺は三十万人を超えたと喧伝されているが、そんな事実はどこにもない。これは中国政府と、日本の知識層の連中のでっち上げだ。そんな大きな数の人間が、当時の南京にはいなかった」 それに対して、ある親日台湾系中国人の方が、この評論家の意見に対して反論されました。 「あんな写真のような人間串刺しをされたら、また残忍な生体解剖をされたら、された遺族の想いは、数の問題ではなくなる」 現に、日本軍隊はあっちこっちで生体解剖をしていたのであります。 広島や長崎の被爆民の方々や遺族の方々に、アメリカの事情も理解するべきだと、あなたは言えるでしょうか。 人間の歴史の悲劇を考えますと、この国はやはり異常だと言わざるを得ません。 この異常性を認識し、是正するためには、やはり異常な史実を国民一人一人が自ら知ることであります。 天皇制という不可侵の掟を破ろうとした男が、一体何を思い、何を考えていたのかを知るために敢えて赤裸々に表現しました。 足利義満は女狂いの末、今でいう腹上死したと言われています。 果たして真実なのか、今となっては誰もわかりません。 しかし、彼が何を思い、何を考え、何をしたのか、を検証すればおのずから答えは出てくると思います。 タブーの男、足利義満にスポットライトを当てるべき時代が到来したことを、世間に知らしめることが出来たなら、この作品の意図は果たされたと言っていいでしょう。 第二部では、現世に生まれ変わった彼らの魂が、六百年前の出来事に目覚めていく中で、どのような想いを展開していくかを、「目覚めた前世」というタイトルで描いてみたいと考えています。 平成十四年五月十八日(バーゼルにて) 新 田 論
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