第一章(Part 1) 天狗の父・逝去

「良子(りょうし)、天狗はどこにいる?」
義詮は息も絶え絶えに正室の良子に春王(しゅんおう)を呼ぶように言った。
「はい、今すぐに呼んでまいります。上様」
貞治(じょうじ)六年師走の十二月、室町幕府二代将軍足利義詮(よしあきら)は三十八歳の若さで一粒種の春王を残して逝去した。
その時、後の三代将軍足利義満(よしみつ)こと幼名春王は十一歳の若さで、内裏の女人貞子と情を交わしていた。
貞子は二十四歳の女御で、後光厳(ごこうごん)天皇の寵愛を嘗て受けていたが、薹(とう)が立つにつれて遠ざけられ、淋しい想いをしていたところへ春王が、義満の名を賜るために父の義詮に連れられ内裏(だいり)に参上した。
襖越しに春王を見た貞子はその日から春王に恋文の歌を贈って誘惑したのである。
それから一年の間、春王は人目を偲んでは貞子の部屋に忍び込み情を交わす日々が続いた。
父の義詮が逝去した際も、春王は貞子の激しい欲望に応えていたのだ。
陽も沈みかけていたその日の夕方、将軍の館である室町第(むろまちだい)の門の前に着いた春王は、館の中が騒々しいのに奇異な感じを持ったが、それが父の死だとは思うべくもなかった。
まだ三十八歳の父が急死するなど考えてもいなかった春王は、門の中で家中の者が、「若君が戻られましたぞ!」と叫んでいるのを聞いて、母の良子に何かあったのではと思った。
良子は帝の后である崇賢門院仲子の妹で体が病弱であったからだ。
その母が跳んで春王のところへやって来たから、春王は安心した。
「春王。上様が亡くなられましたぞえ!」
涙を流しながら良子は春王を抱えた。
女人の香りが春王の衣類からしたのを感じた良子は、情けない表情で春王に言った。
「父君が亡くなられた時にも、お前は女人を抱いておられたのか。ああ先が思いやられる!」
春王が父・将軍義詮、母良子の顔を見たのはこの日が最後となったのである。
「さすがは天狗であるのう!春王は」
帝は第二皇子である緒仁(おひと)親王(のちの後円融天皇)に向かって言ってから一首歌った。

見るままに 外山(とやま)のみねは 雲ははれ
夕立すぐる かぜぞすずしき