第十一章(Part 1) 情報の価値

応安の半済令で評価を落とした管領細川頼之は、義満の官位を上げる努力をすることで身の保全を図った。
義満の威風はそれだけ堂々としたものであった。
その背景に朝廷の女人たちとのパイプの太さがあった。
今でいう生の情報を義満は若い時から自然に集めていたのである。
いつの時代でも質の良い情報を多く握っている者が支配者になるのだ。
頂点の帝から末端の公家の世界まで、生の情報を得ることは極めて困難なことで、武家政治の要諦は極論すれば朝廷の情報収集力にかかっている。
明治維新を成し遂げた背景には、徳川御三家のひとつ水戸藩の存在を無視できない。
安政の大獄を演出した井伊直弼を暗殺したのは水戸藩だった。
水戸家は徳川本家にとっては、まさに獅子身中の虫であったと言えるだろう。
しかも最後の将軍徳川慶喜は水戸家出身である。
この舞台を演出したのは薩摩藩主の島津斉彬である。
彼はこの舞台の要諦として、十三代将軍家定の正室に篤君(後の天璋院)を嫁がせ、若き西郷吉之助を庭方役、つまりお庭番という情報収集役として送り込んだのである。
のちの西郷隆盛がこの時代に情報の価値を知ったのであるが、それは大奥の主人となった家定の御台所の篤君を通じて、情報の収集のみならず、情報操作をして、徳川幕府最後の十五代将軍徳川慶喜を誕生させ、倒幕へのきっかけをつくったのである。
革命とは、軍事力によって(時には蜂起した大衆の力によって)、時の支配勢力を覆すことであるが、それはあくまで歴史の表舞台の話であって、裏舞台では必ず情報戦が激しく行われる。
革命のメカニズムは、不条理に対する決起が表向きの大儀であるが、実態は旧支配勢力の転覆であり、旧支配勢力に対する復讐であることが殆どだ。
義満の皇位簒奪計画には表向きの大儀がなかった。
天皇家に対する本音の復讐心だけであったが故、達成直前まで行きながら失敗することになる。
その原因は若き将軍の頃の朝廷の女人との愛憎体験が、プラス面にもマイナス面にも働いたからであろう。