第十一章(Part 2) 金閣寺見参

大徳寺から歩いて約三十分、北大路通りが西大路通りに変わった所に、金閣寺の標識がある。
嵯峨野から嵐山へ抜ける道と西大路通りとの分岐点に金閣寺がある。
南北朝の頃に建てられた、竜安寺、仁和寺、大覚寺、そして足利尊氏が建立した天竜寺など名跡が金閣寺を始点に嵐山に向かって点在する。
京都の地がまだ山城と言われた頃、この辺りが中心地であったのだ。
平城京から長岡京を経由して平安京が山城の地に遷された頃、鴨川流域は洪水が頻発する湿地帯であり、とても人間が住むような処ではなかった。
唯一、嵯峨野から嵐山辺りの高尾連峰の裾野である地が人間の住むことのできる場所だった。
一方、平安京が建設された時、中心となった場所は風水学を駆使して、山城の地と正反対の処に決められ、そこに平安京の名の源になった八坂神社が建立された。東大路に四条通りが交差するT字路の点で、この二点を三角形の底辺にした頂点の処に御所の場所を決めたのである。
北大路通りを金閣寺に向かって歩いていた雄仁に、さきほどの大徳寺・総見院の僧が追いかけてきた。
「あの・・。すいません」
後ろを振り返えると、恥ずかしそうに顔を赤くしたまだ少年の面影を残している一人の僧が立っていた。
「住職の鹿覚和尚からの言付けを持って参りました」と言って手紙のようなものを雄仁に差し出した。
「この手紙を鹿苑寺の雲西和尚に渡して頂ければ、金閣寺の中を案内してもらえるから。と申していました」
突然のことで驚いた雄仁だった。
『金閣寺をまずご覧になることです』と言った、あの住職がわざわざ雄仁のために認(したた)めてくれたのだ。
「ありがとうございます」と言って礼をした雄仁が頭を上げると、その若き僧はもういなかった。
手紙をしっかりと持って、雄仁は金閣寺の正門の前に立った。
護衛の控所が門の横にあって、勝手には中に入れない。
手紙を護衛の一人に渡すと、雄仁の顔をしげしげと見ながら、「どうぞ、中へお入りください」と馬鹿丁寧に言いながら、その護衛は雄仁の前を、頭の後ろに目を置いたような態度でゆっくりと歩いていった。