第十六章(Part 2) 帰京

東京に帰った雄仁はすぐに実行に移した。
「大学をやめて京都に移ります!」
下宿のおばさんに告げた雄仁は、その足で東京大学の教務室に行って、退学手続きを取ろうとした。
文学部の橿原教授が急いで教務室にやって来て、雄仁を小さな応接室に呼び入れ、「急に大学をやめるということは一体どういう理由なんだ?」と詰問した。
当時の大学生は本当に将来を嘱望されている選ばれた人材であり、そういう学生を教える先生も聖職者たる人格を備えていた。
親身になって事情を聞こうとする教授に向かって雄仁は、京都であったことを正直に話した。
「平岡君は、我々仲間内でも将来素晴らしい文学者になる素質があると期待しているんだ。だが君の言っていることも、個人的にはよく理解出来るよ。ううん!」
橿原教授は人の良さそうな顔を思いきり歪めて考え込んでしまった。
雄仁も、今までよく面倒を見てくれていた先生だけに辛かったが、それ以上に京都に魅かれてしまったのだ。
「平岡君は、小説を書いていると以前言っていた記憶があるんだが、そうかね?」
「はい、書いています。まだ半分も行ってませんが」
「どんな小説かな?」
「いえ、まだ題名は決めてはいませんが、京都の寺の僧侶の話しです」
「よほど平岡君は京都に魅了されてしまったんだね。分からないこともないが、京都のどういった点に興味があるのかね?」
橿原教授は以前から日本の歴史について疑問を持っていた。
授業でもしきりに強調していたことは、文献と史実の乖離が他の世界の歴史よりもあまりにも大きいということだった。
要するに日本の歴史を語っている文献は信用出来ないということだ。
史実を知ろうとすれば、その現場に行って伝説や由来書を調べてみることが一番確かで、特に地名がそれを最もよく顕しているという持論だ。
その考え方に共鳴した雄仁だったから、橿原教授なら理解を示してくれると思った。