第二十章(Part 1) 二品尼貞子

亡き後光厳天皇が、自分の典侍で、お手つきにした貞子を、まだ青年になっていなかった春王こと義満に下げおろしたのは、春王の怪物ぶりの片鱗を見てとったからであった。
貞子は義満の教育係であり、遁甲(とんこう)と言って忍者スパイの役回りで下げおろしたつもりだったのだ。
後光厳天皇はその時、天皇家だけに与えられる品位を貞子に与えた。
官位は藤原摂関家以下、執政の役である公家、護持役である寺社、守護役である武家をその足下に置いて実権を持つ治天の君が、彼等権門に与える位であった。
他方、天皇家の縁戚者には特別な位が定められていた。それが品位である。
従って、「品がいい」とは本来天皇家だけしか持つことが出来ない表現であった。
貞子が義満に下げおろされた時は、四品(よんぽん)女御であった。
しかし、義満が成人になって権勢を振るうようになると、叙任権をも強引に掌握し、本来、天皇が与える品位まで、彼が与えるようになっていた。
皇位を奪おうとする義満の最大の後押し役であった貞子は、皇太子の品位である二品(にほん)位まで義満によって与えられた。
しかも、義満との永年の男女関係を隠蔽するために表向きは出家尼となっていた。
そして自分の姪であった日野業子(なりこ)を義満の正室として送り込む一方で、二品尼(にほんに)貞子は、宮中内で義満に肩入れする人脈づくりを着々と進めていった。
最初の標的になったのが、藤原摂関家の中でも最高位の准三后(じゅさんくう)まで昇りつめた二条良基(よしもと)であった。
二条良基は連歌で有名な「菟玖波(つくば)集」の撰者としても著名な文化人でもあり、太政大臣、摂関そして准三后まで昇りつめた宮中最高位の廷臣でもあった。
良基は貞子を通じて徐々に義満に肩入れするようになっていった。
「そなたは人たらしの名人じゃのう。それは女御(おなご)の武器のおかげであるのか?」
義満は皮肉っぽく貞子に言った。
「わたくしはあなたさまの乳母であり、躾役であり、慰女御であり、そして遁甲であります」
「これほどの強き味方は、他にはいないのう・・・」
義満は、すでに薹(とう)が立っていた貞子を引き寄せ、情を交わした。
「わたしのような女御と閨事(ねやごと)をしてくださるお方は、義満さまだけでございます」
二品尼貞子は恍惚感の中にいながらも、義満の義の強さに感謝していた。