第二十一章(Part 2) 深草北陵

午前七時に京都に着いた二人は、徹夜で話をしたにも拘わらず眠気はなかった。
「君が疲れているなら、百万遍の家に行ってもいいが、どうするかね?」
橿原教授は優しく言ってくれたが、雄仁は、「先生こそ、お疲れではないですか?僕は先生の言われる通りにします」
若いだけに、一晩の徹夜などまったく堪えていない雄仁を見て、教授は真剣な表情で言った。
「それじゃ、伏見に行ってみようか?」
教授の意図を計りかねている雄仁に、教授は言った。
「伏見に深草北陵という天皇陵がある。この深草北陵というのは、南北朝時代の北朝四代の後光厳天皇、五代後円融天皇そして、南北朝統一後の百代後小松天皇から第百七代後陽成(ごようぜい)天皇までが埋葬されている御陵なんだが、深草坊町というところにあって、京都駅から南に下ったところにある。その御陵に行ってみないか?」
理由(わけ)が分からない雄仁だったが、興味もあったので喜んで行くと返事した。
京都駅から伏見行きの路面電車に乗った二人は、朝一番の電車だったので、ほとんど乗客もなく、外の景色を見ながら縦長の座席にすわって朝の京見物を楽しんだ。
「昭和天皇は北朝の流れを汲む天皇で、その始まりは第百代後小松天皇といわれる方だ。それまでの天皇は南朝の流れを汲む天皇で第九十九代後亀山天皇と言われる方だ」
「そうすると、百代目からずっと北朝系の天皇だということですか?」
「その通りだ。南朝系から北朝系に変えたのが室町幕府三代将軍足利義満なんだ。君が一目惚れした金閣寺を建立した張本人だ」
雄仁が京都に移りたいと言った理由が、金閣寺と大徳寺にあり、そこに祀られている主人が足利義満と織田信長であることを知って、歴史の裏を見せてやりたいと、橿原教授は思ったのが一緒に京都に来た理由だった。
しかし、肝心の雄仁がまだ解っていなかった。
「いいかい。深草北陵に最初に埋葬されたのが後光厳天皇であり、その子の後円融天皇だ。この二人の天皇は足利義満に王権を簒奪されかけた時の天皇だ。特に後円融天皇は歴代天皇の中で、初めて真剣に王権を奪われる危機感を持った天皇で、その為に三十五才の若さで死んでいる。そして後を継いだ後小松天皇の世で義満は暗殺されたというのが裏の歴史では常識になっており、それも内外に敵を持ったからだと言われている。それともう一つが、第百六代・正親町(おおぎまち)天皇と、その子・後陽成天皇だ。この時代、天下の実権を持っていたのが織田信長だが、やはり内に明智光秀、外に彼に繋がる朝廷が絡んだ暗殺であることは間違いないだろう。ここに不思議な共通点があり、その交差する点に天皇家がある。特に深草北陵はそういう点で、歴史の裏の真相が一杯詰まっている場所だと言えるだろう」
教授の話を電車の中で聞いた雄仁は、これから行く深草北陵で、自分の人生での大きな出来事が起こるような予感がした。