第二十二章(Part 1) 政事と閨事

義満が若い将軍でありながら絶大な権力を掌握していったのは、その政治力に拠るところが多い。
これほどの若さでありながら、公家や武家の老獪な連中を手玉に取る能力は際立っていた。
「犯罪の影に女あり」ではないが、義満の政治力の影には二品尼貞子を筆頭に、厳子、按察局、池尻殿、加賀局、誠子といった宮中の女御がいた。
彼女らとの閨事は、義満にとっては大事な政事の場でもあったのだ。
改元権をも握った義満が元号を考えた中に応仁というのがあったが、結局義満が五十一才で暗殺された後、彼の三男で青蓮院門跡であった義円こと、後の六代将軍義教(よしのり)も暗殺されることで室町幕府はその求心力を失っていくことになる。
そして戦国の乱世となっていった時代の元号が応仁であったのは歴史の皮肉と言えるだろう。
応仁の乱を最後に制したのは、義満没後その義満の意を継いだ義教が赤松満祐に殺害されてから百年後に颯爽と登場した寵児・織田信長であった。
信長は義満のように三代将軍の地位を利用して、政治力によって天下を握ることはしなかった。いや出来なかったと言った方がいいだろう。
室町幕府時代の管領職を細川家と争った名門・斯波家の家来の一人が織田家であったから、義満とはいくら大名とは言え大きな差があった。
そういう意味では、天皇家から王権を奪い取ろうとして結局暗殺されていった二人の英雄ではあったが、信長は創始者であったから、力づくで天下を抑えようとしたのに対して、先祖の遺産を受け継いだ三代目義満が政治力を駆使して天下を支配していったのは慧眼であったと言える。
その影で義満の力の源泉となって支えていたのが女御たちであり、彼女らとの閨事は政事よりも重要な勤めであったのかも知れない。
歴史に「もし・・」は無いが、「もし」織田信長が義満のような政治力を駆使して公家や朝廷を掌握していたら、明智光秀に暗殺されるようなことは無かったであろう。
明智光秀は細川藤考(幽才)と共に信長と京都の朝廷の橋渡し役をしていた人物で、朝廷との突き詰めれば天皇とのパイプ役を家来に任せ、女性を政略の道具にしか使わなかったことが、本能寺の変を招いたのであり、義満のように女性を味方に取り込んだ政事をしていたら、その後の歴史は大きく変わっていたことは想像に難くない。
やはり「犯罪の影に女あり」は歴史の真実であり、また人間社会の真理であるのかも知れない。
女性を敵にすると怖いのは、いつの世も同じであり、逆に女性に沈溺しても身の破滅を招く。
女性の扱いは、いつの時代でも、最も難しい問題であるようだ。
現代の日本の政治は、まさに女性人気だけに支えられた政権である。
厳密に言うなら女性的体質の人間の支持基盤が重要な時世になっていると言える。
女性と男性の決定的違いは、男性は行動で己の想いを示すが、女性は言葉で示して貰わないと理解出来ない生き物なのだ。
言葉巧みな男には、いくら賢明な女性でもころりと参る。
我が国の宰相は、その言葉だけで政治をやっているように思えてならない。
歴史はその結末を教えてくれる。
義満が暗殺されたように。