第二十二章(Part 2) 哀れ御骨堂

京都の伏見坊町というところに深草北陵がある。
一般には深草十二帝陵と言われ、歴代十二人の天皇が祀られている。
世界最大の墓だと言われる仁徳天皇陵に比べると、同じ天皇でありながら、実際には陵と言っても、一宇の法華堂があるだけで、そこに十二人の天皇の毘陀御遺骨が共同墓地として祀られている。
八十九代・後深草帝、九十二代・伏見帝、九十三代・後伏見帝、北朝四代・後光厳帝、北朝五代・後円融帝、百代・後小松帝、百一代・称光帝、百三代・後土御門帝、百四代・後柏原帝、百五代・後奈良帝、百六代・正親町帝、百七代・後陽成帝の十二人の何れも持明院統(北朝)の天皇である。
「ここが天皇の御陵ですか?」
雄仁は、日本史で学んだ天皇陵のイメージと余りにも違う哀れな御骨堂だけの共同墓地を見て唖然とした。
「現在の今上天皇も北朝系だと言われている。また明治天皇は、それまでの江戸幕府時代に蔑(ないがし)ろにされていた天皇家の権威復活に努力されたにも拘わらず、この深草北陵だけは放置されたままなんだ。このことを平岡君はどう思うかね?」
「解せないですね。何故なんですか?」
橿原教授は答えなかった。
「明治維新で都が京都から東京に遷都され、江戸城が東京城となり、旧西の丸御殿が御所となったのだが、その後アメリカの東京大空襲で御所が焼失し、東京城が宮城となり、昨年に皇居と正式に呼ばれるようになったんだが、不思議なのは、明治天皇が皇居の祝田門先に南朝の武将で有名な楠木正成の銅像を建立されたことだ。
明治天皇はもちろん北朝系なのに、不思議だとは思わないか?」
雄仁は敢えて質問をしなくなった。
しても答えてくれそうになかったからだ。
法華堂の中は入れない。
「君がこの京都に魅せられたのなら、まずこの謎を解き明かすことから始めることが大事だと思ったので、ここに来たのだ」
遠くを見つめる表情で橿原教授は雄仁に言った。