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第二十四章(Part 1) 上皇の反撃 改元は本来天皇若しくは治天の君が変わった時に行われるものであったが、叙任権・改元権・祭祀権を掌握した義満は、自分の権威を高めるために、二、三年に一回の間隔で、管領細川頼之の解任による頼之の造反で起こった康暦の政変以来次々と改元していった。 永和四年(1378年)、西園寺公永(きみなが)は右近衛大将になりたくて、貞子に近づいて、義満に頼み込んだ。 しかし、貞子に頼んだのが仇になった。 貞子に何度も煮え湯を飲まされてきた後円融上皇は、この上奏を徹底してはねつけた。 そして序列に従って、徳大寺実時(さねとき)が右大将になった。 『あの不能者めが、わしに楯突きおって!』 義満は貞子と上皇の后である厳子を前にして怒りを露にした。 まさに腹いせとばかりに、二人の女御を相手に情を交わし、怒りのエネルギーを彼女らにぶつけた。 その様は、長いつき合いの貞子ですら、さすがに異常かと思わせるほどの荒々しさで、まるで動物を犯すような残虐さと執拗さであった。 特に厳子に対する情交は、何が何でも自分の種を植えつけてやるといった執拗さで、妹である厳子が目の前で義満に犯し殺されるのではないかと、貞子が思う程の激しさであった。 管領細川頼之を解任して、いよいよ独裁体制にと考えていた矢先の康暦元年八月、義満は廷臣の最高位にいて、自分に肩入れしてくれている二条良基の摂政再任を奏聞したが、後円融上皇の猛反対で、左大臣二条師嗣(もろつぐ)に宣下された。 怒り心頭の義満に対して、後円融の反撃もここまでであった。 厳子が身ごもったのである。 『してやったり!』と狂喜する義満を見つめる貞子と厳子には、まさに大天狗に見えたのであった。 |