第二十四章(Part 2) 義満と信長

橿原教授の実家である「都屋」旅館は、六百八十年の歴史を誇る名門旅館だった。
暦応元年(1338年)、足利尊氏が征夷大将軍に任命され、室町幕府を開く前から存在していた旅館である。
足利尊氏が若い頃京都に勉学に来ていた時代に、既に旅篭「都屋」として店を構え、尊氏の実弟足利直義(ただよし)の養子になった尊氏の実子直冬(ただふゆ)を、京の白拍子に産ませた時に世話になり、礼状を送った印がある。
「すごい歴史のある旅館ですね」
雄仁もさすがに驚いた。
「それより、深草十二帝陵に行って、君が疑問に思っていることに、何かヒントになるものが見つかったかね?」
雄仁はまったく見当がつかなかった。
「十二人の帝の名前全部知っているかい?」
「ええと、八十九代・後深草帝、九十二代・伏見帝、九十三代・後伏見帝、北朝四代・後光厳帝、北朝五代・後円融帝、百代・後小松帝、百一代・称光帝、百三代・後土御門帝、百四代・後柏原帝、百五代・後奈良帝、百六代・正親町帝、百七代・後陽成帝ですよね」
さすがに関心が強いだけに、はっきり憶えている。
「それぞれの天皇の名前を知っていても無意味だよ。天皇と、特に権力を握っていた武家との関わりを知っていないと、歴史の影に潜んでいる真実を解き明かすことは出来ない。特に深草北陵がどの代で終わったのかが鍵だよ」
頭の回転が速い雄仁だけに、すぐにヒントの対象が、誰かが分かった。
そして、その天皇の時代の権力者は誰であったかを考えた。
最後の後陽成天皇の在位期間が一五八六年から一六一一年、その父の正親町天皇は、一五五七年から一五八六年だ。
「そうだ!信長が本能寺で明智光秀に討たれたのが一五八二年だ。まさに正親町天皇の時世の時ですね」
教授は、「うん、うん」と頷いた。
「やはり、信長も義満と同じように天皇家を潰そうとしたのですか?」
雄仁はストレートに結論を言う。
「いや、そこは分からない。しかし正親町天皇が、後円融天皇と同じような危機感を信長に感じていたことは確かだろうね。信長がどう思っていたかは、闇の中だが。
二人の性格と生い立ちを考えてみると、信長は義満が持っていたような動機はなかったと言えるだろう。非常に合理的な思考回路を持っていた信長は、義満のような感情と計算を混同するようなことはしなかったと思う」
「それでは、正親町天皇の被害妄想から発したことになるのですか?」
「恐らくそうだろうと思うね」
「義満は天皇家に対するコンプレックスが最大のエネルギーになっていたと思うが、信長は非常に冷徹な目で天皇家を見ていたと思う。
まあ、もう一度明日にでも大徳寺に行って、信長の坐像を拝見させてもらおう」
再び信長の坐像を見ることが出来ると思った雄仁は、とうとうその夜一睡も出来ない程興奮していた。