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第二十八章(Part 1) 厳子出産 永徳三年。 神無月(かんなづき)の二十二の日に、厳子は、治天の君・後円融上皇の子を産んだ。 神無月(かんなづき)の二十二の日は毎年、大和(おおやまと)の布留明神で鎮魂祭が行われ、その時は八百万(やおよろず)の神がすべて出雲に集う。 出雲以外には神は留守していなくなるので、この月を神無月(かんなづき)と呼ぶ。 逆に出雲では、神有月(かみありつき)と呼ぶ。 布留明神は出雲の神々が大和へ出てきた所である。 玉依媛(たまよりひめ)が処女懐胎して産んだ別雷神(わけいかずち)(建雷神)が、玉依媛(たまよりひめ)の末子・神武天皇に布都御魂(ふつみたま)という名の剣を下されたという伝説があり、その剣を祭神としているのが布留明神である。 『神無月に子を産むとは、いかなることぞ!』 後円融上皇は、白河上皇を祀る布留明神に鎮魂祭の神職として参る時に乗る、八瀬の童子の輿の中で呟いた。 『あれは朕の子ではない。朕の子ならば、神無月に産まれるわけがない。朕は神の末裔ぞ!』 布留明神は正式には石上(いそのかみ)神宮と言って、大和で最も古い神社の一つである。 後ろに控える山が布留山であることから、布留明神と言われている。 毎年陰暦十月二十二日が、一番重要な鎮魂祭の日である。 天皇・治天の君自ら神職として参る大事な日である。 柿本人麻呂が詠った、 おとめらが 袖ふる山の 端垣の 久しき時ゆ 思ひき我は の石碑を左に眺めながら、後円融はうつろな気持ちで本殿に向かった。 |