第三章(Part 1) 官職叙任権・改元権

官職は本来公家の官位であり、その叙任権は当然天皇若しくは治天の君(上皇)であったが、二代将軍義詮の時代には、その叙任権を武家の棟梁すなわち幕府が持つようになった。
官位は武家にとっても栄誉のことであったからだが、この官位の叙任権で、父の義詮が苦労しているのを見ていた義満は、応安元年の改元を機に一気に武家がすべて介入する慣習をつくり、天皇は任命するだけの公式行事的なものに形骸化してしまった。
改元権も本来は天皇の交代時期に合わせて行われる慣わしであったが、貞治から応安に改元された表向きの理由は、疫病・天変とされているが、真相は三代将軍義満就任による改元であった。
管領・細川頼之を納言から参議にまで推挙したのは、まだ十二歳の将軍義満であった。
義満は宮廷の女人をことごとく手なずけ、貞子を中心に後光厳天皇に執奏させたのである。
そういう点においては、十二歳とは言え義満は既に怪物ぶりを発揮していたと言えるだろう。
義満は後年、正面から堂々と皇位簒奪を狙ったが、それは権力を掌握してからではなく、既に幼少の頃から考えていたのである。
その理由のひとつは、自分にも皇室の血が流れていること、そして生来の女好きが、女御集団(現代で言えばハーレム)を構成する内裏を見ながら、同い年の従兄弟である、後の後円融天皇の女御集団をつぶさに見ていたからであろう。
義満が貞子を手始めに宮廷の女人どもと情を交わしていった背景には、ただ女好きだけの理由では片付けられない点がある。
天皇の歴史は謎に包まれていながらも日本史上最も重要な問題であり、八百年続いた武家支配時代でも、皇位を天皇家から奪おうとした武将は一人もいなかった。
権力と権威の違いを彼らがはっきり認識していたからである。
しかし、十二歳の義満はこの日本史上最大の聖域に土足で踏み込もうとしたのである。
二十四歳の時まで、管領・細川頼之を泳がせ、あたかも幼少の将軍を影で操っているかの如く思わせながら、長きにわたる調略を計ってきたこの怪物は、日本史の中心に存在する天皇家を無きものにするという空前の暴挙を試みようとしていた。
「わしは、いつか帝になってみせる!」十二歳の若武者が言い放った。