第三十九章  仙洞御所での再会

朝食を終えたハナが島根の木次に帰ると言うので、女将が雄仁に京都案内をしてあげる様に薦めた。
「せっかく島根から来られたのだから、一日ぐらい京都見物をされたらどうですか。金閣寺なんかどうですか?」
春雄が言うと、橿原教授も、「それがいい!それがいい!」と賛成した。
しかし、肝心のハナが、「金閣寺は嫌です!」ときっぱり言う。
春雄は、そんなハナに奇異な感じを持ったが、教授は頷いていた。
「お母さんは、御所に行きたいのです!」
雄仁もきっぱり言う。
それに対し、教授は暗い表情をしたが、春雄はさっぱりして、「それもいいですよね。やはり京都の中心は御所ですからね。天皇の住んでおられた所が、やはりこの町の象徴です」
嬉しそうに喋る春雄に、教授は極端な不快感を示した。
先ほどまでと打って変わった教授の態度に戸惑った春雄は黙ってしまった。
「すみません。雄仁と一緒に御所に行ってから、島根に帰ります。どうもお世話になりました。今後とも雄仁のことをよろしくお願いします」
礼を言ってハナは玄関を出た。
二人は都屋を出て、丸太町通りを鴨川の方に歩いて行った。
鴨川を渡り、河原町通りに出て、今出川通りまで上がると御所が見えてきたので、「お母さん。あれが、天皇が住んでおられた御所だよ」と雄仁が言うと、ハナは急に雄仁の腕に自分の腕を絡ませてきた。
一瞬、ギクッとしてたじろいだ雄仁だったが、ハナのするままにさせた。
御所は定期期間を除いては、中まで入れない。
「大内裏に行ってみたいんだけど無理かね?」
「多分、駄目だと思うけど、一回訊いてみよう!」
雄仁はそう言って、護衛詰め所の宮内庁警官に訊いてみたが、やはり断られた。
そこへ、宮内庁の侍従が偶然現れ、ハナと雄仁を見て、ギクッとした表情になった。
「どうかしたのか?」と侍従が警官に訊いた。
「この人たちが大内裏に行きたいと言われるので・・・」
唾を飲み込んで、侍従は言った。
「あなた方なら、ここではなく、仙洞(せんとう)御所に行かれた方がいいんではないですか?」
仙洞御所の名前を聞いた瞬間、ハナの表情が変わった。
雄仁も、仙洞御所の名前に記憶があった。
「仙洞御所は、今は庭園だけですが、後水尾天皇の為に、徳川三代将軍家光が造営したものです。元を糺せば、後円融上皇が住まわれていた御殿です。今は焼失して庭園だけですが、許可がないと入れません。わたしが許可書を差し上げましょう」
警官が吃驚したような顔をしていたが、その侍従は二人に許可書を与えた。
仙洞御所は御所のすぐ近くにあったが、御所の広大さに比べて、小さな粗末な庭園で、御殿があったとは言え、およそ帝や治天の君が住むような場所ではなかった。
徳川時代の寛永年間に、それまで荒れ野原のままで放置されてあったのを、三代将軍家光が、寛永八年(1630年)に後水尾天皇のために復元したのだ。
足利三代将軍が天皇家を陵辱したのを、何故同じ武家の徳川家光が復権させたのか謎である。
徳川家は源氏の血などまったく引き継いでいないのに、家光が東照権現として徳川家康を日光に祀った時に、源氏姓を名乗っている。
しかも家康を東照権現としたのも意味深い。
東照とは、東の天照大神(アマテラスオオミカミ)を指すのであって、江戸を日本の中心にして、伊勢の遷宮をもじったのである。
徳川家は元々松平家であり、足利家のような源氏の血統を誇る家系でなかったから、権威に弱かったのかも知れない。
仙洞御所に許可書を持参して門の横にある警護詰め所に行くと、連絡を受けていたのか、詰め所の警護官がすぐに出て来て、「先ほど、御所に来られた方ですね」と寄って来た。
「はい、そうです。ここに許可書があります」
と言って渡そうとしたが、「そんなもの結構です。どうぞお入りください」
と言って門の中に入って行った。
雄仁とハナは、恐る恐るうしろをついていった。
中は整然として、立派な庭園だった。
「ここに来られる方は余ほど変わった方しか来られません」
警護官の言っている意味がよくわからない雄仁だった。
「変わった方というのは、どういう方のことを言うのでしょうか?」
と尋ねてみた。
「いえ。それはちょっと申し上げられません。非常に身分の高い方でいらっしゃいますから」
その時、ハナが急に庭園の奥にある大きな石を見て、走って行った。
何事かと思った雄仁は、後を追いかけて行くと、ハナが石の前にうずくまって泣いている。
ハナの泣き声が、雄仁の耳に堪えるのだった。
「お母さん。どうしたんだい?」
後ろからハナを抱きかかえようとした時、ハナが雄仁の方に振り向いた。
ハナの表情を見た雄仁は戦慄した。
「わたしは三条厳子です。あなたは治天の君ではないのですか?」
「治天の君って何ですか?」
「何をおっしゃるか。あなたは我が夫の後円融上皇ではないでしょうか!」
雄仁は、母と自分とが時空の世界を超えて、今ここに再会しているのだと、その時初めて知った。
ハナは雄仁の手を引っ張って庭園の奥にある小さな茶室へ導いた。
警護官は詰め所に戻って誰もいない。
「お母さん、ここに来たことがあるのですか?」
雄仁はハナに聞くが、ハナは雄仁のことを自分の子だと思っていない。
「あなたは、何を言っておられるのですか?わたしはあなたの妻なのですよ。さあ遠慮することはございません」
あの夜のことを雄仁は思いだした。
父親の陣内が酔っ払いを斬り殺し、石見の刑務所に入ってしまい、家計を支える為に温泉旅館の仲居として務めていたハナが酔っ払いの軍人達に輪姦された。
真っ暗な大広間の中で仰向けに呆然と倒れていたハナの下に、雄仁が駆けつけた時、ハナはもう母親でなくなっていたのだ。
母親と思っていた意識をずたずたにされたハナは、それまで気づかなかった潜在意識下の自分の前世が一気に噴出しそうになった状態だった。
意識と無意識の下に潜んでいるもう一つの意識が、仰向けで暗い天井を凝視している中で葛藤していた。
葛藤する母親としての意識が怒りのエネルギーに変換された時、ハナは自暴自棄の気持ちとは正反対の、積極的に前世を受け入れる心情の女に変貌していた。
天井を見つめていると、その中に雄仁の顔が入って来た。
その時、ハナは雄仁が自分の前世での夫であることを知ったのである。
雄仁は、母親に何があったのか最初はわからず、呆然としていたハナを抱きかかえた。
すると突然、ハナは雄仁の唇を求めたのだ。
あとは成り行きだった。
「お母さんでは、ないのですね?」
雄仁はハナの心理状態を確かめたかった。
ただの肉欲だけなのか、本当に前世の夫と思っているのかで、大きく違う。
「あなたは緒仁(おひと)親王ではないですか。わたしは、あなたの許嫁(いいなずけ)の三条厳子です」
ハナの言葉を聞いた雄仁は、彼女を思い切り抱きしめた。