第四章(Part 1) 狂気の支配者

貞治六年に家督を継いだ義満は翌・応安元年に征夷大将軍になったが、管領細川頼之は前・将軍義詮が死ぬ一ヶ月前に、四国の守護から呼ばれ管領になっていた。
『なにゆえ父が亡くなる一ヶ月前に頼之は四国から戻って来たのだ・・』
義満の胸の中で疑惑が渦巻いていた。
『義満の中に魔性が潜んでいる・・・』
母の良子が判ったのも、彼の人格の多重性に驚いた時からであった。
頼之を信頼している時は、父の義詮を疑う。
義詮を信頼している時は、頼之を疑う。
自分の心に正直であるが故のことなのだが、ここまで正直に普通はなれないのが人間の哀しさであり、また温かさでもある。
生まれながらにして将軍を約束された義満のように稀な境遇にあっての、いわゆる我侭(わがまま)の極致がそれを可能にさせる。
天皇はその危険性を一番強く持ち合わせていて、歴代の天皇の中で武烈(ぶれつ)天皇がその典型であろう。
後醍醐天皇もそれに近い。
人間の性(さが)や業(ごう)というものをすべて曝け出せないで生きているのが一般の人たちであるが、こういった稀な状況に置かれた人間に顕れる現象であり、一種の狂人である。
狂人は聖人に変貌する一歩手前であることも事実で、歴代天皇の中には多くの聖人が輩出している。
そういう点において、日本の歴史は天皇の歴史であり、すべての日本人の心に天皇の存在が深く浸透している。
いくら権力者が入れ替わっても天皇が存続している所以であり、権威というものの価値を如実に示している。
この聖域を、たかだか数十年の足利幕府という基盤の薄い権力機構の中で踏み込もうとする義満は、ある意味で最も愚かな人間であろう。
幼少にして肉欲に溺れたが故に、脳が変質してしまったのかも知れない。
若くして性に力を注ぐと脳を成長させる力が欠如してしまう。
特に脳の成長はせいぜい十歳までで止まってしまうから、この時期しか脳を成長させる機会はない。
義満の精神脳は、五十一歳で死ぬまで意識に目覚める五歳程度であったのであろう。
それを受け継いだのが、義満の第三子で仏門に入りながらも第六代将軍になった義教(よしのり)である。
狂気の支配者が二代続くと、その世界は修羅の場と化す。
今まさに、その修羅の世界が幕開けしようとしている。