第四十三章  禅の奥義

臨済禅は問答の禅で、只管打坐の曹洞禅とは違う。
もちろん座禅は組むが、心を空にする為に座るのではない。
人間の心の奥底に潜んでいる魔性と対峙して、意識上に引っ張り出すことで、心のカタルシスをするのが臨済禅である。
「喝!」と突然師匠が弟子に言うのがそれである。
禅宗は自力で、生身の肉体が故に湧き出る煩悩を、断ち切る意志の鍛錬を目的として、釈迦が起こした仏教の原点である。
達磨大師の洞窟での九年の修行は有名だ。
彼は、天笠(インド)という国では宗教の種は生まれても、それを開花させる土壌がないと喝破して、釈迦牟尼仏の教えを中国へ持って行った。
中国という国は、大陸的発想の国で且つ中華思想が根づいているため、インドのようなカースト制度が生まれる土壌でない処に達磨大師は注目した。
インドで仏教より前に、ヒンズー教やジャイナ教が生まれたのも、すべてはカースト制度という悪魔の差別思想が原因である。
生まれた時から、いくら努力しても報われないこの世を肯定するのがカーストであるから、新しく生まれ変わるのに期待するしかない。
生まれ変わる為には、この世とあの世の概念が必要となって輪廻転生という奇異な発想が生まれ、あの世の主人は差別をしない立派な人が要る。
それが神の誕生である。
ニーチェが「神は死んだ」と言って発狂したのは肯ける。
彼は、ある日、大きな木を観察して、上に伸びる程に下にも根が深く潜っていく真理を発見して、神一元は無い、神と悪魔二元が宇宙を貫く原則であることに気が付いたのだ。
輪廻転生は神と悪魔が仕掛けた罠である。
達磨大師は、釈迦の教えの種の芽を出す為に九年間中国の洞窟で修行し、弟子を育てた。
その弟子たちが、出た芽を立派な幹まで育てた。回帰する為には、実を持つ花を咲かさなければならないことに気づいたが、今度は、何でも自分達が中心だと考える中華思想が、開花させるのに障害となった。
そして栄西と道元によって、短絡的発想の日本に持ちこまれ開花したのが禅である。開花させるには短絡的でないと出来ないのだ。
釈迦の教えの本流はここにある。
臨済禅を学ぶことになった改名・雲円融は雲西和尚から、まずこのことを教えられた。