第四十八章  貞子の転生

後円融天皇の父である後光厳天皇の典侍で、遁甲(とんこう)という忍びの役目も負っていた三条貞子という女性がいた。
貞子は後光厳天皇の肝煎りで、足利義満の幼名・春王のところへ、閨事の指南役として送り込まれたが、ミイラ取りがミイラになって、貞子は春王の遁甲になってしまい、自分の妹であり、後円融天皇の皇后であった三条厳子をも、春王との閨事に引きずり込んだのである。
後円融天皇が若くして上皇である治天の君になったのも、そして若死したのも、元はと言えば皇后三条厳子と義満との密通疑惑が原因であった。
義満が権勢を誇り始めたのは、管領細川頼之が失脚してからであったが、十一才で征夷大将軍になった時から、既に怪物の片鱗を見せていた。
後顧の憂いを懸念した後光厳天皇が、十一才の春王が将軍になるために元服した際に義満という名を与えたのである。
後光厳天皇の寵愛を受けていたこともある貞子だが、自分の体をいとも簡単に、まだ十才程度の義満に払い下げられたその失望は計り知れないほど大きかった。
今も昔も変わらない人間関係、特に男女関係には、ひとつの真理がある。
相手を人間として扱わない人間は、必ず男女関係でつまずき、そういう人間の本質である上昇志向の強さとは裏腹に、最終的には人生の敗北者になる。
その時、そのつまずきの原因になるのが、人間扱いせずに物扱いした相手である。
男女の関係では、男にその傾向性が強いのは当然である。
最も代表的な例が、女性を利用した政略結婚である。
豊臣秀吉と徳川家康の関係においても、自分の妹で既に夫持ちの旭姫を、離婚させてまで家康に嫁がせた。
徳川家康も今川義元によって政略結婚させられた築山殿に裏切られている。
現代においても、宰相にまでなった政治家が、たかだか三百万円を吝嗇(けち)って、宰相の地位を棒に振っている。
「英雄色を好む」の真意は、本当の英雄は、いかなる人間をも人間として扱う公正・平等の体質を持っている。だから英雄になれる。そしてその影には支えとなる女がいる。英雄はその女が愛妾であっても人間として大切にする。
だから多くの女が、英雄に心奪われ自ら進んで愛妾になって、英雄の周りには、女がつきまとうことになるのである。
女にとって、男と体質が正反対だから見抜くことは困難なことであるが、一番警戒しなければならない男は、人間を物扱いする種類(たぐい)であることを忘れてはならない。
見合い結婚が悪い訳ではないが、極めて政略性が強いことは事実である。政略性とは、相手を物扱いしていることである。
例外的に、魅力のない人間同士が見合い結婚をする場合には、同情の余地はある。
民主主義が衆愚政治に陥りやすいにも拘らず、世界の国々で支持されているのは、本当は賢者による専制政治が理想であるのだが、その賢者が独裁者に陥る危険が大きいからで、物扱いする人間か、人間扱いする人間かという極めて本質的なところを見抜かなければならない。
社会がおかしくなるのは、見抜く賢い大衆が少ない時である。
足利義満が、権勢を縦にすることが出来、王権纂奪まで考えた背景には、払い下げされた貞子を最後まで大事にし、人間扱いしていたからであり、後円融天皇の皇后となった三条厳子が密通の噂まで流れても、義満との閨事を重ねたのも、義満に、「英雄色を好む」体質が具わっていたからであろう。
その貞子の今世の生まれ替わりが、雲西和尚であった。