第四十九章  雲西と鹿覚

ある夜、雲西和尚は夢を観た。
しばらく夢を観た記憶がない和尚だっただけに、本人も驚いた。
雑念の想いのエネルギーが蓄積されて、これ以上蓄積出来ずに溢れると、夢という形で処理される。
雲西和尚は、最早(もう)五十数年この金閣寺で生活して来た。
京都の呉服商の長男で生まれたが、子供の時から禅僧になるのが夢で、両親も余りの想いの強さに根負けして小学校を卒業して、すぐに大徳寺で面倒を見てもらうことにした。
そこが総見院であった。
鹿覚和尚は、総見院に務めている住職・総覚和尚の養子で、雲西和尚が、藤原一郎という名で総見院に出家した時、まだ赤ん坊だった。
大徳寺の大門の前で捨てられてあった赤ん坊を、総見院の住職・総覚和尚に拾われ、養子にされたのだ。
養子と言っても、妻帯を禁じられているから、養い子という意味なのだが、余りにも不憫なので我が子のようにかわいがっていた。
赤ん坊の鹿覚和尚の世話役をさせられた一郎は、彼を弟のようにかわいがった。
赤ん坊の時から、自分の一字と鹿苑寺の鹿をとって鹿覚と名づけたのである。
「この子を鹿覚と呼んでいるのに、お前が法名を持っていないのもかわいそうだな。それでは大徳寺の西にある雲のような金閣寺から、雲西という名を与えてやろう」
その日以来、雲西と鹿覚は兄弟のように総見院で育った。
今では、総覚和尚の計らい通り、雲西が鹿苑寺の住持、鹿覚が大徳寺総見院の住持になったのだ。
雲西和尚が弟のようにかわいがった鹿覚が青年に育った頃、雲西はまだ総見院の僧であったが、鹿覚の行状が大徳寺の各院の間で問題になった。
総見院は大徳寺の中でも、織田信長の廟廊がある理由で別格であっただけに余計に問題が大きくなった。
雲西と鹿覚は一緒になって、京都中の遊郭を遊び回って、遂に総覚和尚の逆鱗に触れて、嵐山の天竜寺に二人とも預かりの身となったことがある。
まさに、血の繋がりはなくても、兄弟同然の仲であった。