第五章(Part 1) 復習の鬼

応安六年(1373年)、三代将軍足利義満は十八歳の青年に成長した。
管領細川頼之は今川了俊(りょうしゅん)を九州探題に任命し、九州南朝の支配者・懐良(かねよし)親王を筑後の高良山(こうらさん)へ追い込み、九州の中心である大宰府を奪い、南朝の勢いを落とす活躍をした。そして頼之の実権は絶頂期に達していた。
応安の半済令という悪法も、この九州平定で帳消しになり四国の一守護から管領になった当時はそれほどの欲もなかった頼之だったが、この時期になると権力欲が頭を擡げてきた。
天狗の鼻柱を持つ、誇り高い義満には我慢ならない時期でもあった。
義満と頼之との関係は徐々に表面だってぎくしゃくしだし、後光厳天皇も心配していた。
「天狗はおとなしくしているのか?」
久しぶりに貞子を招き入れた後光厳天皇は閨事(ねやごと)の後、義満のことを尋ねた。
帝は貞子と義満の関係を承知の上で、貞子を閨(ねや)に招いた。
帝から御召しがあれば断ることは出来ない。
貞子の情は完全に義満に向いていたが、頼之との確執が激化していることを憂えた貞子は帝の後押しを期待した。
「春王どのは、いま管領どのとうまくいっておられません。それが貞子には気がかりでございます。お上から管領どのにたしなめて頂ければ貞子は・・・」
子猫がじゃれつくような声を出して貞子は帝の胸に顔を埋めた。
義満が十歳そこそこの頃から閨事を交わしていた貞子は、年齢は三十歳(みそじ)であったが、閨事の技は巧みになって、老いた帝にはこの上ない相手になっていた。
二度目の閨事の後、帝は貞子の願いを寝物語として聞いてやった。
貞子は帝が義満の後押しの約束をしてくれたものと思い、精一杯奉仕した。
しかし、それは所詮寝物語であったとは貞子は思ってもいなかった。
明くる年、北朝第四代天皇・後光厳帝は崩御され、元号も明徳元年となり、第二皇子である緒仁(おひと)親王が第百代(北朝第五代)後円融天皇として即位した時点で、この約束は水の泡となったのである。
貞子は先帝を恨み、その由を義満にうち明けた。
義満は烈火のごとく怒り、
「必ずや、王権を纂奪(さんだつ)してみせようぞ!」
貞子に言い放った。
義満の怒りの表情をまざまざと見ていた貞子は、「これこそ、天狗の怒りぞえ!」
と絶叫した。