|
第五章(Part 2) 発狂 人間は一生の中で何度か精神の切れる時が必ずある。 命を与えている生命エネルギーが身体の中を常に充満しているのだが、そのエネルギーの流れが通常の経路を通らずに、全然違う方向に流れた時、精神の糸が切れる。 この生命エネルギーは肉体の所有者の意志とは関わらず、通常の経路を不随意に流れる。 ところが肉体の所有者はそのことを意識していないから、自分の意志で流れていると無意識で思っている。つまり随意だと思っている。 普段はそう錯覚していてもさほど問題は起こらないが、随意だと間違って意識すると、そこに「想い」という全く質の違う精神の糸が躍動し、本来不随意なものを随意と勘違いしていることとの間に大きな乖離が生じる。 この時に精神の糸が切れ、発狂という極限状態に陥る。 金閣寺を放火した時の雄仁がそのトランス状態にあった。 そして、その後精神科医の治療を受けている間に極限状態のままで落ち着いていた。 それが再び刀を手にした途端にトランス状態に戻ってしまった。 この症状は繰り返す度に増幅するのだ。 「格子戸の部屋に収容するべき時が来たようです・・・」 麻生は淡々と洋介に言った。 理由が分からない洋介は麻生鎮に訊いた。 「以前、先生は、“奴は危険でない”とおっしゃいました。それが何故?」 「あの刀を手にしたからです。刀というものは人や物を切るものです。しかしあれぐらい優美な名刀になると、それを持つ人間の精神まで切ってしまいます。 この前、“わたしが刀を与えてください”と申し上げましたね。わたしは、このことを期待して待っていたのです」 “開いた口が塞がらない”といった様子で洋介は麻生を見ていた。 『この人間には常識は通用しない・・・』 そう思った洋介は麻生の話を聞き続けた。 「美に対する過剰な憧れを持つ人間は、人間離れした思考と行動をするものです。普通の人間の数倍の努力をします。そしてその努力が極限に達すると、分岐点が待ち受けているのです。運命の分岐点といいましょうか。努力が極限に達した時点で大きな障壁が立ちはだかっているのです。 この手前でギブアップすると発狂しますが、もう一ふんばりすると、その障壁をいとも簡単に越えることが出来ます。これがプラスのトランス状態で、いわゆる悟りといいますか、至福の境地に達することができる。 ところがその場で留まっている状態もある。これが躁鬱症を引き起こすのです。彼は今、越えるか、引き返すか、留まるかの三者選択を迫られている状態にあります。これは本人にとっても、まわりの者にとっても非常に危険な状態です。だから格子戸の部屋に移すのです」 哲学や心理学にはまったく無縁の洋介だったが、麻生の説明には説得力があった。 格子戸の前に立った二人は、その中でげらげら笑っている雄仁を他人事のようには思えなかった。 |