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第八章(Part 1) 復讐のはじまり 大嘗祭の即位式は夜を徹して行われる。 夜半に行われる儀式がまさに皇祖神天照大神から天皇として認められるもので、即位する天皇が一人で皇祖神と対面するのだ。 数時間に亘る儀式は想像を絶する厳しさで、大嘗祭で病に臥せてしまう天皇もいる。 緒仁親王が後円融天皇になる、まさにその瞬間に、義満はその后に最初の裏切り行為をさせたのである。 しかも聖地である伊勢神宮で、義満は日本国の権威の象徴である天皇を侮辱したのだ。 平治の乱で源義朝を討ち取り、ついでに義朝の愛妾である常磐御前まで奪った太政大臣平清盛でさえ、後白川上皇と真っ向から対立はしたが、皇位纂奪までは考えなかった。 初の武家支配の幕府を開いた源頼朝も征夷大将軍で甘んじていたのは、天皇家の万世一系の伝統には対抗できなかったからである。 義満の足利家は源氏の直系であり、貞観(じょうがん)元年(858年)に即位した第五十六代清和天皇がその祖先であるから、義満の代までに既に五百年の歴史を誇る名家であった。 しかし、後円融天皇が第九十九代にあたる天皇家の伝統には遠く及ばない。 嘗て、武力で日本の国を制覇した人物は多くいたが、天皇家を覆す者は誰一人いなかった。 時代が要請したのか、第九十九代天皇が即位する真っ只中で、その后と密通する大胆不敵な怪物が登場したのだ。 「そなたの名前は厳子(げんし)と申すのか。貞子(じょうし)とは姉妹と聞いたが、貞子は先帝のお手つきにあったにもかかわらず、そのままこのわしに払い下げられた気の毒な女人であった。しかしそなたは新しい帝の后となった運のいい女人ではないか。それが選りにも選って帝の即位式の夜に、このわしと閨事をするとは大胆な女御であらせられる。なぜそのようなことをするか、理由(わけ)を申せられよ」 義満は帝の后である厳子に精一杯の礼を尽くして言った。 「あなたはこの国の実質の支配者と藤原家ではみな申しております。必ずや近い将来、皇位を奪われる方だと聞きおよびます。だから帝など怖くはございません。またあの方は手弱男で、あなたと同い年でありながら、わたしにまだ手をつけようともなさいませぬ。それに比べてあなたは、貞子さまと十一歳の頃から寝床を共にしておられるとか、たくましゅうございます。何の、何の、どうかわたしの体を喜ばせてくださいませ」 義満は大胆な厳子の言葉に唖然として、「女人とは、永遠に分からぬものよ・・・」と言って、貞子がいるそばで厳子を抱いた。 その間、緒仁(おひと)こと後円融天皇は大嘗祭のまさに一番中心の御衾(おぶすま)秘儀の儀式の真っ最中で、皇祖神天照大神との神人共寝をするのである。 神と同じ霊格になるため、皇祖神と神聖なる共寝をしている時に、その后が同じ神宮で、従三位中納言足利義満と閨事をしているのだ。 大嘗祭の夜には三つの儀式がある。 聖水沐浴、神人共食、御衾秘儀である。 聖水沐浴は、沐浴時に「天羽衣」と呼ばれる湯帷子(ゆかたびら)を天皇が羽織り湯殿に入り、湯槽の中で脱ぎ捨てられ、湯槽から出られて新しい「天羽衣」 に着替えられることで天から生まれ変わられ天子となられる儀式である。 それに合わせて、義満は厳子と一緒に湯殿に入り、湯殿で閨事を交わし厳子に自ら次の天子の種づけをしたのである。 神人共食は、天子となって生まれた天皇が天照大神と、外宮の豊受(とようけ)大神から生命エネルギーの大御饌(おおみけ)である新穀を与えられ、共に食される儀式である。 饌(ケ)とは食であり、生命エネルギーを指し、また新しい魂でもある。 皇祖神・天照大神と同じ霊格を持たれる。 この時、義満は貞子と厳子の二人と共に同じ大御饌を食したのである。 大嘗祭とは一年に一回行われる収穫の感謝と次の豊穣を祈願する新嘗祭(にいなめさい)に合わせて行われる、天皇にとって一生に一度の祭事で、その時に神宮の斎宮も交代される。 貞子は大嘗祭の意義を義満に教えていた。 義満は皇位簒奪を決意し、その予行演習のつもりで、この大嘗祭に臨んだのである。 「必ずや、天皇になってみせる!」と貞子に約束した、その時であった。 |