第九章(Part 2) 東大入学

雄仁は米子中学を最優秀の成績で卒業した。
ちょうどその頃に学制が変わった。
それまでは尋常小学校六年、中学校五年を終えると大学に進学する制度で、今の大学の教養学期に当たるのが旧制高校だったが廃止された。
米子中学五年を最優秀の成績で卒業した雄仁は、金閣寺に魅せられて京都大学に入りたかったが、母親の強い希望で、東京大学に入学した。
母親のハナは、雄仁を役人にしたかったのだ。
当時から、学者は京都大学、役人は東京大学と言われ、第一級国家公務員になるには、東京大学が必須であった。
雄仁はどちらかと言うと、職人肌の父の血を受けていたから、京都大学の技術を勉強したかったのだが、父親の職人気質が一家の破滅の原因だと決め込んでいたハナは東京大学に行くことを主張した。
母親の気持ちを考えると、自分の我が儘を抑えるしかなかった雄仁は、その代わりに文学部に進んだ。
文学、芸術の道に自分の将来を託そうと思ったのだ。
しかし、大学に入学しても雄仁の頭から金閣寺は離れなかった。
暇を見つけては、金閣寺の絵を描いていた雄仁は、一年の夏休みに、母親の住む木次に帰る途中で京都に寄って金閣寺に行こうと決めていた。
京都駅を下りて、西大路一条まで路面電車で約三十分。そこは西大路から北大路通りに出る分岐点で、もうすこし東に行くと信長の廟廊で有名な大徳寺がある。
雄仁は信長にも関心があった。
力と美に対して異常なほどの関心を示す雄仁は、まず力の方を選んで、大徳寺に行ってみた。
そこには、信長の実物そっくりの木像があると聞いていたからだ。
大徳寺は多くの院から成り、その中の一つである総見院に信長とその子供たちの墓があり、信長の木像が祀ってある。
雄仁が教科書で見た信長像は癇の強いヒステリックなイメージだったが、あれだけのダイナミックな行動をした人間のイメージとはマッチしないと常々疑問に感じていたのが、木像を見て感動した。
「これだ!これが本当の信長の顔だ!」
その時、雄仁は表の歴史の偽りの多さに憤りを感じた。
そしてそれが、彼のその後の人生を大きく変えることになるのだ。