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(三) わたしは犬鷲だったのだ。 彼女は鶴だったのだ。 野性の世界では「食う食われる」関係だけなのに、人間の世界になると複雑怪奇になるようだ。 オスとメスの間の慣習も実にシンプルなのに、男と女となると余計な概念が入り込んで、却ってことを複雑にする。 そんな複雑怪奇な男と女が織り成す人間社会の中で、結婚という慣習が一番厄介だ。 結婚制度が人間社会に導入された歴史はたかが5千年前のことらしい。 5千年続いた慣習がいま崩れようとしている。 オスとメスの関係から男と女の関係が5千年続いたわけだが、いま一度元へ戻ろうとしている。 世の中というのはすべて回帰運動するらしい。 人間だけがこの真理を理解していないから、四苦八苦の人生を送ることになり、折角の恩恵である死の理解を水泡に帰すという勿体ないことをしているのである。 わたしは一回結婚をしたが、結婚など一度経験すればもう沢山だ。 結婚した相手の云々ではなく、結婚する自分自身がニセモノの自分なのだから、結婚生活は二人のニセモノの自分、つまり、狸と狐の化試合そのものだ。 最近流行った歌謡曲にこんなフレーズがある。 "あなたに あなたに 威張ってみたい 来月で俺 離婚するんだよ そう、はじめて自分を生きる" ホンモノの自分を生きるには結婚は障害物以外の何者でもないのだ。 吾亦紅 マッチを擦れば おろしが吹いて 線香がやけにつき難い さらさら揺れる 吾亦紅 ふとあなたの吐息のようで・・・ 盆の休みに帰れなかった 俺の杜撰(ずさん)さ嘆いているか あなたに あなたに 謝りたくて 山裾の秋 ひとり逢いに来た ただ あなたに謝りたくて 小さな町に嫁いで生きて ここしか知らない人だった・・・ それでも母を生き切った 俺、あなたが羨ましいよ・・・ 今はいとこが住んでいる家に 昔みたいに灯りがともる あなたは あなたは 家族も遠く 気強く寂しさを堪えた あなたの あなたの 見せない疵(きず)が 身に沁みて行く やっと手が届く ばか野郎となじってくれよ 親のことなど気遣う暇に 後で恥じない自分を生きろ あなたの あなたの 形見の言葉 守れた試しさえないけど あなたに あなたに 威張ってみたい 来月で俺 離婚するんだよ そう、はじめて自分を生きる あなたに あなたに 見ていて欲しい 髪に白髪が混じり始めても 俺、死ぬまであなたの子供・・・ 離婚してはじめて自分を生きるなら、結婚している間は自分は死んでいたわけである。 お互いにそう思って生きてきたわけである。 結婚する前の熱烈な恋愛の情は一体何処に行ってしまったというのだ。 "あの時はわたしはあなを真剣に愛した" "あの時はわたしはあなたに命を懸けていた" あのわたしは一体何処に行ってしまったというのだ。 ところが同じわたしが今では死んだも同然だという。 ところが同じわたしがいつかあなたが死ねば哀しむ。 一体わたしは誰なのだ。 ホンモノはリアルだ。 黄金はホンモノだから永遠に変わらない。 ニセモノはメッキだ。 メッキはニセモノだからすぐに変わる。 そうだ、わたしはメッキだ。 あなたを真剣に愛したわたしはメッキだ。 あなたに命を懸けたわたしはメッキだ。 あなたの前で死んだ振りをしたわたしはメッキだ。 あなたの死を哀しんでいるわたしはメッキだ。 だからホンモノの愛は決して結婚を選ばない。 だからホンモノのわたしは二度と結婚をしない。 組織の時代はもはや終わり、これからは個人の時代だ。 国家のない社会、社会のない社会、会社のない社会、家族のない社会が個人の時代の社会だ。 国家のない社会、会社のない社会がこれからやってくるのだから、家族のない社会も当然やってくる筈だ。 自然社会で生きるものの生活形態には二種類あるらしい。 単独生活する生きものと共同生活する生きものの二つだ。 単独生活する生きものといっても、子供を生んだ母親と子供はある一定期間だけ共同生活するが、それは子供が独り立ちできない期間だけで、子供が独り立ちした暁には、母親は自分からも離す。 これこそまさに種の保存本能が動物の基本本能である所以だ。 種の保存本能とは生存本能、つまり、サバイバル本能に他ならない。 言い換えれば、弱肉強食の世界が自然社会だということである。 『食う食われる世界』だとも言えるだろう。 食うものは生き残れ、食われるものは生き残れない掟が厳然と働いている。 そうすると、単独生活する生きものが強者で、共同生活する生きものは弱者ということになる。 自分を食いに来るものに単独で対決できないから共同生活をするわけだ。 我々人間が社会をつくる基本動機も、彼らとまったく同じ点から来ている。 百獣の王と呼ばれているライオンは今でこそアフリカのサバンナにしか棲息していないが、嘗てはインドでも住んでいた。 インドには虎も住んでいて、しょっちゅうライオンと縄張り争いをしていたが、戦えば10回中8回は虎が勝つのでライオンはとうとうインドから追い出され、アフリカでは共同生活をする生きものになったのである。 この現象は単独生活する生きものが強者で、共同生活する生きものが弱者であることを示唆している。 人間社会の言葉で言えば、『組織』で生きる者よりも『個人』で生きる者の方が強いということになる。 家族を構成して生きる人間よりも、単独で生きる人間の方が強いというわけである。 進化するとは弱者が強者になることを言う。 従って、進化すればするほど錯覚も高じていく。 何故なら、弱さが実在で強さは弱さの不在概念であるから、進化する、すなわち、強くなれば強くなるほど、実在性は薄れていき、概念意識、つまり、エゴという自我意識だけが強化されていくわけで、この現象は取りも直さず、無いものねだりの錯覚に他ならない。 弱肉強食の世界が進化することは、共同生活する生きものよりも単独生活する生きものが生き残っていくわけだから、「家族のない社会」になっていくのは必然である。 必然、従来の結婚制度は崩れていく。 家族とは、エゴの集まりに過ぎないのだ。 国家がエゴの集まりのように、会社がエゴの集まりのように。 親や兄弟姉妹や子供や言っても、みんなエゴの代表なのである。 身内なんて所詮そんなもんだ。 家族なんて厄介な存在以外の何者でもない。 「昨日、図書館でお会いしましたね?」 こんな魅力のない自分に声を掛けてくれた彼女だが、『彼女はわかっているだろうか?』 将又、凝りもしない発想をするわたしだ。 ここで自分の殻を破らないと、また元の木阿弥だ。 「わたしはもう61才になる老頭児だが、どうしてわたしに?」 思い切って本音でぶつかってみた。 すると思いもかけない返事が彼女から返ってきた。 「人間なら、61才と41才の違いかも知れないけど、鳥なら10才と8才の違いですよ・・・ましてや、あなたは鷲のオスで、わたしは鶴のメスだから、わたしの方がお姉さんかもわかりませんね・・・だって、あなたはわたしを餌食にしたいのでしょ?」 わたしの本音など所詮はニセモノの本音だったことを嫌というほど思い知らされた彼女の正真正銘の本音だった。 彼女は既に受入れ態勢が整っていたのである。 人間の男と女が愛の行為をするには前戯と後戯が必ず要るが、鳥の愛の交尾に何が要るというのか。 所詮は子孫保存本能の発露が交尾に過ぎないが、死を知った人間にとっての交尾は愛の行為の真只中の一過程に過ぎず、前戯と後戯が真の愛の表現手段になっていることを文明社会は知らない。 彼女は交尾を欲していたのか、それとも愛の行為を欲していたのか。 それが、鳥か人間かの違いである。 わたしが鳥なのか、人間なのか。 彼女は鳥なのか、人間なのか。 種の違う生き物の間の交尾が許されていない理由がここにあったことを、わたしははじめて気付いたのである。 人間の男と女のセックスは、犬と猫の交尾と同じらしい。 犬と猫の交尾は起こり得ない。 種が違うからだ。 人間の男と女のセックスが犬と猫の交尾と同じなら、人間の男と女のセックスは獣姦と同じになる。 レイプによって妊娠はするが、獣姦によって妊娠することはないのに、人間の男と女のセックスで女が妊娠するのは、我々は人間ではない証明かもしれない。 鳥になった夢を観ている人間ではなく、人間になった夢を観ている鳥なのかもしれない。 そうならOKだ。 犬鷲であるわたしと、鶴である彼女とのセックスはOKだ。 問題はそれがセックスなのか、交尾なのかだ。 わたしのゴツゴツした曲がった足と彼女のふくよかでまっすぐ伸びた足がエロチックに交わっているのは、所詮、交尾なのか。 春の陽差しに照らされてトンボのオスとメスの交尾する様肢は、まるで、ゴツゴツした曲がった足とふくよかでまっすぐ伸びた足がエロチックに交わっている様肢だ。 人間の男と女がセックスすれば、結婚という話がすぐに持ち込まれる。 そんな時代は疾うの昔の話だと高を括っている若い連中がいるが、そんな連中は人生の辛苦を経験していないからだ。 わたしのように60年も生きてくれば、時代の潮流なんて屁みたいなものだということがわかってくる。 放った直後だけは強烈な匂いを発するが、時の経過と共に奇麗に忘れ去られてしまうだけだ。 わたしが60才で定年退職した年は、二十一世紀に突入して8年が経った年で、まさに、二十一世紀は「組織の時代」から「個人の時代」への変遷時であった。 団塊の世代というのは、好いように考えてみれば自己啓発できる絶好の世代とも言えるが、悪いように考えてみればこんなに理不尽な目に遭った世代もないだろう。 数が多いというだけで、人生の節目で試験、試験、試験を連発され、高校受験、大学受験、就職試験、昇格試験の中でも最もメッシュの細かい篩にかけられた中を通過させられてきて、やっとの想いで辿り着いたと思いきや、後から随いてくる連中には大きなメッシュの篩すらかけられないで、楽々と我々を追い越していく。 そんな理不尽な人生の中で、結婚制度まで、我々団塊の世代には不条理を強制するのか。 団塊の世代と共に文明社会は終焉を迎え、これまでになかったまったく新しい人間社会がやって来る。 団塊の世代とは、人間の爆発的増殖に他ならない。 団塊の世代がこの世から消えて行く時、人口の爆発的増殖が止まる。 わたしは団塊の世代の先頭を切ってきた人間だ。 わたしの残りの人生こそ、人類の節目の時代に他ならない。 わたしは決めた! 人類の節目の時代だからこそ、わたしは彼女と堕落して行くことを。 堕落はまさしくセックスのクライマックスのマイナスの感覚である。 人間だけにセックスに対する罪悪観がある所以は、そのマイナスの感覚にある。 わたしはプラスの感覚だ。 だから、わたしはセックスでマイナスの感覚になる。 彼女はマイナスの感覚だ。 だから、彼女はセックスでプラスの感覚になる。 わたしは思い切って彼女のマンションのチャイムを押してみた。 『どこかで見憶えのある光景だ・・・』 ふと安心感が過る。 ドアーが開けられ、微笑んでいる彼女がドアーの向こう側に立っている。 『確かに見憶えのある光景だ・・・』 後は予定通りの展開だ。 白い石塀の横まで二人は無言で歩いた。 どれぐらいの時間が経ったのかまるで覚えていない。 『過去』に想いを馳せているエゴの自分なら時間のある世界を承知しているが、『今、ここ』の自分だから時間のない世界にいることを承知していなかったからだ。 鳥になった人間の夢なのか。 それなら、わたしがこんな大胆不敵な行動を取れるわけがない。 人間になった鳥の夢なのか。 それなら、旅の恥は掻き捨ての行動を取れるかもしれない。 彼女は上向き加減の視線をわたしに投げかけてきた。 『見憶えのある光景だ・・・ここが勝負時だったんだ!』 エゴの自分はプライドの塊だから、『今、ここ』を絶対に生きることができない。 過ぎ去ってしまったことを取り返すことは世間では不可能だ。 わたしは後悔した。 『人間とは不可能なことばかり追いかける一生を送る最も愚かで最も知性のある生きものなんだ!』 わたしは覚悟した。 『俺は鳥なんだ!』 『俺は雄雄しい犬鷲なんだ!』 『最も魅かれるものを引き裂いて食う雄雄しい犬鷲なんだ!』 雄雄しい犬鷲の勇姿とはまるで正反対のおどおどした自分が犬鷲だなんて、到底思えないが故のプラスとマイナスの感覚だった。 ヒマラヤの峰を手弱女しく越えていく鶴の群れを凝視する犬鷲には、マイナスの感覚など微塵もない。 手弱女しか持ち併せていない脆過ぎるほどの鶴の美しい曲線の体を、犬鷲は無残にもその残忍極まる嘴でずたずたにする。 美しいものは醜いものにずたずたにされる。 オスとメスの宿命だ。 美しいメスをずたずたにする醜いオスは、そんなメスの美しさに魅かれる。 オス同士が戦うのは、メスの美しさに魅かれながら、そんなメスの美しさを引き裂くという自己矛盾の中を生きているからだが、オスとメスの世界から男と女の世界へ進化した生きものの宿命なのである。 人間社会だけがオス社会を構築した所以だ。 わたしは再びそんな自己矛盾の世界から脱出するのだ。 世間では非常識だと思われることが実は自己矛盾のない一環性であり一貫性であって、世間では常識だと思われていることが実は自己矛盾だらけの一環性も一貫性もまるでない。 わたしは彼女を鷲掴みして自分の嘴で彼女の豊満な胸をずたずたにした。 憧れの相手を大事にするのが人間の良心だ。 憧れの相手をずたずたにするのが動物の良心だ。 わたしは遂に気がついた。 どぶねずみ人間から鳥に変身した瞬間だ。 |