第十五章 光と時間と運動

光だけが完全対消滅をして、他のすべてのものは不完全対消滅をした結果、光だけが絶対速度を持ち、他のすべてのものは相対速度に制御されると主張するのが相対性理論の核心ではないだろうか。
光が絶対者であり、他のすべてのものは所詮相対的であり、結局の処は、絶対者である光に支配されているというわけだ。
宗教的な臭いがしてならない。
時間を三次元立体世界の上位(四次元要因)に置き、我々人間を含む他のすべてのものは上位(四次元要因)である時間に支配されているという論旨は、光と時間の同一性を示唆している。
時間の概念は運動の概念の基にある。
F=mα・・・運動方程式だ。
はじめに実在する物質(m)が在り、そこに力(F)が加わって、(α)という加速度が生じたのが運動のメカニズムだ。
加速度がそのまま速度になるのが絶対速度である。
加速度がそのまま速度にならないのが相対速度である。
距離は一次元。
速度は二次元。
加速度は三次元。
dL/dt=V・・・・距離(Length)を時間(time)で微分(differentiate)したものが速度(Velocity)である。
dV/dt=α・・・速度(Velocity)を時間(time)で微分(differentiate)したものが加速度(α=acceleration)である。
∫α・dt = V・・・加速度(α=acceleration)を時間(time)で積分(integrate)した
ものが速度(Velocity)である。
∫V・dt =L・・・速度(Velocity)を時間(time)で積分(integrate)したものが距離(Length)である。
結局の処、
光と時間と運動は同じ概念である。
従って、
相対性理論とは光と時間と運動を同一視する宗教と言っても過言ではない。
我々の宇宙は確かに『運動の光と音の宇宙』であるが、運動宇宙とは運動一如の宇宙ではなく、静止・運動の相対宇宙であり、静止・運動の相対宇宙とは映像宇宙であり、映像宇宙がある(映る)ということは必ず実在宇宙が在るということであり、実在宇宙こそが静止一如の『静止の暗闇と沈黙』の絶対宇宙なのである。
従って、
光(時間)は絶対者と決して言えないだろう。