第十一章 確定性

0%(はじめ)とは100%わからない世界のことだ。
100%(おわり)とは100%わかる世界のことだ。
一方、
我々が生きている世界は0%〜100%の「あいだ」の世界である。
「あいだ」の世界とは33.333・・・%のわかる世界と66.666・・・%のわからない世界の混在する世界である。
「あいだ」の世界では確定性のあるものは一切ない。
宗教が主張する「悟り」とは確定性の追求に外ならない。
「誕生」と「死」だけが確定性を持ち、「生」そのものが不確定性に外ならないのに、「悟り」という確定性を追求する宗教は偽物(映像)だ。
仏教が教える「中道の精神」は、不確定性の世界である「生」では不可能である。
綱渡りの極意は、右に偏れば左に重心を置き、左に偏れば右に重心を置く平衡感覚にあり、中心に拘って静止していればたちまち足を踏み外して落下する。
0%〜100%の「あいだ」の世界である「生」では、「中道」は不可能だ。
0%(はじめ)と100%(おわり)だけが中道である。
ひとたび動きはじめたら中道など不可能だ。
従って、
形而上学で言う「悟り」・「覚醒」・「中道」という確定性は、「誕生」と「死」で誰もが可能である。
従って、
形而上学で言う「悟り」・「覚醒」・「中道」という確定性は、「生」では何人といえども不可能である。