第十七章 新しい学問

知性とは「二元論」に外ならないが、人間は「知性」を誤用してきた。
「二元論」を誤用した結果、宗教が誕生した。
「神が善であり、悪魔が悪である」という「好いとこ取りの相対一元論」である。
善玉に対する悪玉を必ず必要とする所以だ。
挙げ句の果てに、
「生は好くて、死は悪い」とする好いとこ取りだ。
「オスは好くて、メスは悪い」とする好いとこ取りだ。
「善は好くて、悪は悪い」とする好いとこ取りだ。
「強は好くて、弱は悪い」とする好いとこ取りだ。
「賢は好くて、愚は悪い」とする好いとこ取りだ。
「富は好くて、貧は悪い」とする好いとこ取りだ。
「幸福は好くて、不幸は悪い」とする好いとこ取りだ。
「天国は好くて、地獄は悪い」とする好いとこ取りだ。
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「健康は好くて、病気は悪い」とする好いとこ取りだ。
「神は好くて、悪魔は悪い」とする好いとこ取りだ。
更に、
知性とは細分化能力に外ならないが、人間は「知性」を誤用してきた。
「細分化能力」を誤用した結果、科学が誕生した。
善玉を増殖細分化させて、悪玉を消滅細分化させるための方法論が科学だ。
挙げ句の果てに、
善(好)なる生、善(好)なるオス、善(好)なる善、善(好)なる強、善(好)なる賢、善(好)なる富、善(好)なる幸福、善(好)なる天国・・・善(好)なる健康、善(好)なる神ばかりを増殖細分化して、悪なる死、悪なるメス、悪なる悪、悪なる弱、悪なる愚、悪なる貧、悪なる不幸、悪なる地獄・・・悪なる病気、悪なる悪魔を消滅細分化してきたのが科学だ。
結局の処、
宗教と科学は同じ穴の狢だ。
「知性」の誤用の産物が宗教と科学に外ならない。
逆に言えば、
「知性」の正しい用い方は、宗教と科学を統合して両者を超えることだ。
つまり、
宗教・科学は表裏一体の補完要因を構成する「二元論」に外ならない。
古代・中世の社会では、
宗教が善玉で、科学(錬金術)が悪玉だ。
近代及び現代社会では、
科学が善玉で、宗教が悪玉だ。
二元要因を超えた三元論(絶対一元論)こそが宗教と科学の統合であり、二十一世紀の新しい学問だ。