第三十一章 時間は概念

相対運動宇宙は映像宇宙であり、時間が流れている世界である。
絶対静止宇宙は実在宇宙であり、時間が静止している世界である。
運動とは、言い換えれば、時間であり、映像である。
従って、
運動とは概念である。
静止とは実在である。
概念とは実在の不在状態(不在概念)に外ならない。
従って、
実在と概念は表裏一体の一枚のコインに外ならない。
従って、
運動は静止の不在概念だ。
従って、
相対は絶対の不在概念だ。
従って、
映像は実在の不在概念だ。
従って、
相対運動宇宙は絶対静止宇宙の不在概念だ。
従って、
ビッグバンによって誕生した137億光年の拡がりを持つ我々の全体宇宙はビッグバン以前の絶対宇宙の不在概念だ。
従って、
『運動の光と音の宇宙』は『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の不在概念だ。
従って、
光とは暗闇の不在概念だ。
従って、
音は沈黙の不在概念だ。
従って、
ビッグバンとは映写機を動かすために力を加える行為に外ならない。
映写機が静止しているのは閉じられた力(CF)の所為だ。
映写機が回転しているのは開かれた力(OF)の所為だ。
ビッグバンによって四つの力が分化したというのは、静止宇宙を運動宇宙に変える狙いであったに違いない。
映写機を動かす(回転させる)ために映写機に電源を入れる行為と同じであり、結果、映像宇宙がスクリーンに映し出される。
従って、
光・闇、音・沈黙という表裏一体の一枚のコインの誕生が、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・健康・病気、神・悪魔という表裏一体の一枚のコインの概念を(考える)生き物・人間に与えた。
従って、
「考え方」は「在り方」の不在概念だ。
従って、
「部分観」は「全体観」の不在概念だ。
従って、
「二元論」は「一元論(三元論)」の不在概念だ。
従って、
考える生き物の世界は生きる生き物の世界の不在概念だ。
従って、
人間社会は他の生き物の社会(自然社会)の不在概念だ。
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時間という概念がその鍵を握っている。
時間が流れる(運動)=生
時間が静止する(静止)=死
運動(生)と静止(死)の間に時間という概念が侵入したのだ。