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はじめに 男と女は、水と油で混ざることは有り得ない。 男と女は、同じ人間だが、違う動物である。 男と女の間には、深くて暗い谷がある。 わたくしは、正真正銘の男でありますが、正真正銘の女とは一体如何なるものか、自分自身の為にも一度きっちりと確認しておく必要があると常々考えてきました。 いろいろなジャンルの作品を手がけてきましたが、哲学書よりも厄介なのが、男が女の話を書くことではないかと思ったら「大和撫子(やまとなでしこ)」という名前が浮かんできました。 そうすると、もうこの文章を書いているので、仕方なく風の赴くままに書いていくことに致しました。 「大和撫子の一生」ですから、ある女の一生を書かなければならないわけですが、留意しておかなければならないことは、しっかりとわたくしの感情を制御しておくことであります。 自由気ままに書いていくと、わたくしの理想の女性像を書いてしまう恐れがある。 わたくしが書こうとしている女性像は、女性の方たちから見ても、その通りだと同意して頂けるような女性像です。 お互いに、自分に無いものに魅きつけられるから、男と女は傷つけ合いながらも恋に陥るのでしょう。 男には無くて、女だけしか無いもの、それが女の本来性であります。 女には無くて、男だけしか無いもの、それが男の本来性であります。 本来性を見失ってしまった男と女が織り成す世界は、味けないものです。 お互いの本来性を発揮した男と女が織り成す世界は、砂漠の中のオアシスです。 永遠に解らないかも知れない、お互いの本来性かも知れませんが、一人の女性の一生を通じて表現してみたいと思っています。 もう一度申し上げますが、ここに登場する一人の女性は、わたしの理想の女性像ではありません。 女性の本質を、いろいろな形で露わにしてみたい。 時には、男性からしたら、顔を背けたい一面をも露わにする女性かも知れない。 その中から、女性の本来性を浮き彫りすることが出来、それを男性がどう捉えているかを表現出来たら、と思っています。 お互いの本来性を見失ってしまった現代社会を、あるべき社会に戻す一助になれたら幸いであります。 平成十四年六月二十日 新 田 論
あとがき 平成十四年六月二十日に書き始めました、「大和撫子の一生」は、わたしの著書の中で最もロングランの作品になりました。 今日が平成十五年十二月二十三日ですから、およそ一年半かけて書きあげた小説であります。 高齢化社会と少子化社会を迎えた日本の21世紀を、「果てしない彷徨」と「さようなら!」で表現したのですが、何か物足りないと感じていました。 男と女の問題を語らずして、人間を語ることはできないのは当然であります。 特に、国の黎明期に女王が君臨していた歴史を持つ国は、日本をおいて外にはありません。 シバの女王、クレオパトラ、楊貴妃など歴史上の女性はいたけれど、国家の開祖として女王が君臨したのは、この日本だけでしょう。 その珍しい国・日本の女性を語らずして、日本を語ることはできないと思ったのが、この作品を「大和撫子の一生」とした動機であります。 「ヤマタのオロチ」という作品で、天照大神(アマテラスオオミカミ)と天宇受命(アメノウズメノミコト)を対照的な日本女性として描きましたが、その余韻醒め止まない中で、この作品の執筆に入ったのです。 一番のロングランの作品になったのは、初めと終わりはアレグロとプレストで、途中はアダージョやヴィヴァーチェでという、「ルノーの妹」の再現をしてみたかったからであります。 日本の老若男女を書きあげることで、日本人のアイデンティティーを表現できたという満足感があります。 あとは余韻で書ければ、作家人生としてこの上ない幸せであります。 平成十五年十二月二十三日 新 田 論
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