第一章  平凡なOL

神田美沙子。二十四才。銀行に勤めて二年になるOLである。
際立って裕福でもなく、だからと言って貧しさを感じるわけでもない、日本の典型的中産階級のサラリーマン家庭に育った女性である。
銀行勤めの女性の大半は窓口業務であり、美沙子も出納係だった。
バブル破裂による、日本経済破綻の原因をつくった張本人が大手銀行だと世論から非難轟々を受け、肩身の狭い想いをする今日この頃であったが、それでも二年しか勤めていない二十四才の身で、ボーナスは他の業種の課長なみのものを貰っていた。
父の敏茂は五十二才の機械メーカーの部長で、出世としては速くもなく遅くもない、平凡なサラリーマンで、母は専業主婦で通して来た。
弟の崇は、大学四年生で、来年の春卒業して、彼もまた他の大手銀行に就職が決まっていた。
父親の敏茂が、日本の製造業は、日本経済発展に大きく寄与してきたが、従業員に対する報酬が商社や銀行に比べて余りにも低いことに矛盾を感じ、娘の美沙子にも、息子の崇にも銀行就職を薦めたのだ。
確かに、給料もボーナスも過分とも言えるほど高いと思っていた美沙子だったが、窓口業務のハードさを考えると、手放しで喜べなかった。
開店業務は午前九時から午後三時だと言っても、八時前には出社しなければならなかったし、また家に帰るのはいつも午後九時を過ぎることがほとんどだった。
週に一度ぐらい、八時前に退社できる日があると、同僚の女性たちに誘われて食事や飲みに行くといったような生活を送っていた。
ただ彼女には、まだ恋人がいなかった。
せめて好きな恋人でもいれば、銀行も週休二日制になっていたから、週末の楽しみがあって結構充実した生活を送れているのだが、逆に週末を苦痛の日々で送り、その上、ブルーマンデーの空しさを日曜日の夕方から感じるのでは、いくら充分なサラリーを貰っていても、決して満足なOL生活とは思えなかったのだ。
『やはり、恋人が欲しい』
他人には言えないが、心の中ではいつも叫んでいた。
昔なら二十四才と言えば、結婚適齢期だが、今では三十才が女性にとってのターニングポイントの年齢だから、焦りはなかった。
恋人がいない為、仕方なく余暇を趣味に当てるつもりで、スポーツクラブへ日頃の運動不足を補う意味も込めて通っていた。
美沙子は、育った家庭環境もあり、現代女性の中ではドライなタイプというよりはウェットな女性であった。
それが、現代のような積極的な女性時代にマッチしているとは、本人も思っていなかったが、銀行の中では彼女のファンは結構いた。
こういったジレンマが彼女を憂鬱にさせ、仕事に対する意欲も薄れていく日々を過ごしていた。
「いらっしゃいませ。送金振込みでしょうか?」
窓口で、顔を上げて言ったら、同じ大学を卒業して以来、二年間会っていなかった旧友の柴田美奈子が立っていた。
「みなちゃん!・・・」と言いかけてから、「お客さま。どのようなご用件でしょうか」と丁寧に美奈子に対応した。
美奈子も、美沙子の立場を理解していたので、「ここに、振り込みをして欲しいのですが」と言って書類と現金の間にメモを挟んで差し出した。
「相談したいことがあるの。今晩一緒に食事しない?」と書いたメモだった。
「少々お待ちください。この札をどうぞ」美沙子はそう言って、美奈子にウィンクした。
柴田美奈子は、美沙子と正反対のドライな性格で、いつも彼氏を数人抱えていないと落ち着かない現代女性だった。
美沙子は思った。『相談なんて言って、また彼氏同士のもめごとの相談に決まっているわ』

仲のいい友達だったから、断るわけにはいかなかったが、何となくますます憂鬱になる美沙子だった。