第二十章  杉本耕一

六時前に銀行を出た美沙子が、ハチ公前に着くと、茂樹の横に背の高い男性が立っていた。
『ひょっとしたら杉本耕作のお兄さんでは』
胸の中で呟いた美沙子の勘は当たっていた。
『せっかく二人のデートなのに』とがっかりした気分になったが、美奈子と杉本
耕作の件で会うことになっていたから、仕方ないと思って、杉本耕一に軽く会釈をすると、「はじめまして、杉本耕一です。あなたのことは和田からよく聞かされています」
茂樹は別に恥ずかしがることもなく、横で「うん、うん」と笑いながら頷いていた。
「ええ?和田さんが、わたしのことを?何て言っておられます?」
久しぶりに心が踊るような会話に有頂天になっている美沙子の表情は輝いていた。
『なんてかわいい人なんだろう』
茂樹と耕一は、美沙子の顔を見て、同じ印象を持った。
しかし、当の本人は未だ女性としてのめざめがなく、平凡なつまらない女性だと自己嫌悪に陥りながら単調な社会人生活を送っていたから、一挙に二人の男性から魅力的だと思われていても気づくはずもなかった。
しかし、もう三十に近づいた男性にとっては、ぎらぎらした薄っぺらい自信で街の中を闊歩している最近の変な女達ばかりを見ていると、美沙子の控えめな態度が新鮮に見えたのだ。
「すみません、何の了解もなしで、もう一人野暮な男を連れて来てしまいました」
頭を掻きながら、美沙子にお辞儀をする茂樹に、「いいえ、事情が事情だけに、わたしももっと詳しいことを知りたかったので、返って良かったと思っています」
『せっかく二人のデートなのに』とさきほどまで思っていたのに、優等生の返事をしている自分の心の中で何が起こっているのか、美沙子はまだ気づいていなかった。
「また恵比寿の店でいいですか?実はこいつが最初にあの店に連れていってくれたんです」
耕一の方を向きながら言う茂樹と耕一は、本当に仲のいい親友という感じがした。
『男性の本当の友達というのは、お前、こいつ、で通る。女の場合は、そんな風にはいかない』
最も親しい女友達に対しても、心の中では常に警戒心がちらつくのが弱い女の性だ。
人間の雌という生き物は、余りにも弱肉強食のジャングルで生き抜くには弱すぎる。
だから昔の人間の知恵で、結婚したら女性は家の中にいて子供を産むのに専念する慣習が生まれたのだ。
子供を孕んだ人間の雌ほど、外敵から見たら格好の獲物はない。
それほど無力な生き物だから、自然に自己保身本能が身についていく。女性の本質がここにあり、それを護ってやるのが男の本来の姿であることを、アメリカを筆頭にした西洋文化は、この半世紀の間に壊してしまった。
自由を謳歌している西欧の女性を羨む日本の風潮が、バブル崩壊後自信を失くした日本人男性を弱くしてしまったことは否めない。
しかし、本質のところでは、やはり手弱女を望んでいるのが本当の日本の男であることを、日本女性は早く気づくべきだ。
美沙子のような、平凡な女性でも、今の日本の風潮に流されて美奈子のような生き方を羨しく思っているのが、この国の実態なのだ。
「ええ、キッチンボンで構いませんが、今日はわたしがお誘いしたので、ご馳走させてください」
余りにも格好つける自分に、心の中で、頭をコツンとした美沙子だったが、それは心地の良い痛さだった。